ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

ブッダ・カフェ 第111回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第111回

 

 

解脱(ケダチ/げだつ)ノ光輪(クワウリン/こうりん) キハモナシ

光触(クワウソク/こうそく)カフ(む)ル モノハ ミナ

有無(ウム)ヲハナルト ノへ(べ)タマフ

平等覚(ヒヤウトウカク/びょうどうかく)ニ 帰命(クヰミヤウ/きみょう)セヨ

浄土和讃 讃南無阿弥陀偈和讃 五」

 

 われわれ生死の懊悩は、無辺の光にひとたび触れれば、たちまちに氷解する。分別をつけて有無を測ろうなどとする心根からは、いっさい離れてしまおうと仰ってるのだ。平等の慈悲ですべてを救う阿弥陀仏をひとえに頼りなさい。(拙訳) 

 

 明日、7月25日(土)は、ブッダ・カフェの日です。

 いつもの客殿の座敷を開けていますので、どうぞくつろぎにおいでください。

 


7月25日(土)

13:00〜16:30


場所:

徳正寺(とくしょうじ)

〒600-8051

京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角にジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。


参加費:

300円


 

ブッダ・カフェ 第110回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第110回

 

 

解脱(ケダチ/げだつ)ノ光輪(クワウリン/こうりん) キハモナシ

光触(クワウソク/こうそく)カフ(む)ル モノハ ミナ

有無(ウム)ヲハナルト ノへ(べ)タマフ

平等覚(ヒヤウトウカク/びょうどうかく)ニ 帰命(クヰミヤウ/きみょう)セヨ

浄土和讃 讃南無阿弥陀偈和讃 五」

 

 われわれ生死の懊悩は、無辺の光にひとたび触れれば、たちまちに氷解する。分別をつけて有無を測ろうなどとする心根からは、いっさい離れてしまおうと仰ってるのだ。平等の慈悲ですべてを救う阿弥陀仏をひとえに頼りなさい。(拙訳) 

 

 明日、6月25日(木)は、ブッダ・カフェの日です。

 2ヶ月ぶりに徳正寺での開催となるのですが、扉野は法務のため不在となります。

 13時にいつもの客殿の座敷を開けていますので、どうぞくつろぎにおいでください。

 


6月25日(木)

13:00〜16:30


場所:

徳正寺(とくしょうじ)

〒600-8051

京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角にジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。


参加費:

300円


 

ブッダ・カフェ 第109回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第109回


5月25日(月)
13:00〜16:30
場所:めいめいのいる場所で

 Zoomによるオンライン開催予定

 

 

解脱(ケダチ/げだつ)ノ光輪(クワウリン/こうりん) キハモナシ

光触(クワウソク/こうそく)カフ(む)ル モノハ ミナ

有無(ウム)ヲハナルト ノへ(べ)タマフ

平等覚(ヒヤウトウカク/びょうどうかく)ニ 帰命(クヰミヤウ/きみょう)セヨ

浄土和讃 讃南無阿弥陀偈和讃 五」

 

 われわれ生死の懊悩は、無辺の光にひとたび触れれば、たちまちに氷解する。分別をつけて有無を測ろうなどとする心根からは、いっさい離れてしまおうと仰ってるのだ。平等の慈悲ですべてを救う阿弥陀仏をひとえに頼りなさい。(拙訳)

 

 
 明日5月25日(月)のブッダ・カフェも、先月と同じく、いまここにいるめいめいの場所での開催とします。Zoomを用いてオンライン開催を予定していますが、うまくアプリを操作してできるか確信が持てずにいます。

 

 参加ご希望の方は、わたし、扉野のフェイスブックから、メッセンジャーを通じてお申し込みください。
 
 
 定員10名で開催をしたいと思います。申し込みをしていただいた上で、参加者にはオンライン・ブッダカフェのURLアドレスをお送りします。参加受付完了のお返事は明朝のお知らせとなります。またURLアドレスは明日正午に送信します。
 
 主催者の不手際で、うまく開催できない可能性もありますので、その点ご了承ください。
 
 参加費はとりません。

 

十二歳のスペイン風邪 大伯母の百年前日記

 PCで編集仕事をしながら、眠気に襲われてツイッターを開くと「#国民投票法改正案に抗議します」というトレンドがあがっていて、見送られた「#検察庁法改正に抗議します」がまだ続いているのだろうとぼんやりTLを追っていたら、どうもそうではないと目が覚めてしまった。

 誰の意志でこういう動きが生じているのだろう。なにか目に見えない怖い病気に感染した人たちが政権を動かしているのではないだろうか。

 

「今晩から少しこわくなる」

 

 と、これはわたしの大伯母が100年前(正確には102年前)日記に記した言葉だ。

 

 三年前に寺の境内にある六角堂(納骨堂)の片づけをしていたら、須弥壇の下の収納奥深くから埃をかぶった六冊の日記帳が出てきた。薄暗い堂内でそれを開けると、まだ女学校に通っていたころの大伯母の日記だった。

 いまその一部を翻刻して、多くの人に読んでもらいたいと、印刷所から刷り上がってくるのを、まだかと待っているところである(今月末刊行される季村敏夫さんの個人誌、『河口から 6』に掲載)。

 

 大伯母の日記は、当時インフルエンザとは知られていなかったスペイン風邪の流行を生々しく記録していた。

 

大正7年/1918年)十一月十二日火曜日 天気晴 温度五十五度[一二・七℃] 起床六時 就眠九時
此頃新聞を見ると黒枠の広告が沢山ついてゐる。
お友達の重田さんのお母さんも八日になくなられたさうで今日山嵜先生と世良さんと私とで生徒総代になつておくやみに行った。
ほんと重田さんはお気の毒である。

 

 大伯母は京都府立高等女学校(現・京都市堀川高校)へ入学したばかりの少女だった。曇りのない目とはこういうことなのだと納得される、見たまま、感じたままを筆に乗せた12歳の記録である。日記は期せずして、世の中の動きをとらえて、スペイン風邪の流行を身近に迫る不安として記し留めている。

 

 「今晩から少しこはくなる」とは、スペイン風邪が世の中に蔓延するなか、父が所用で不在となった夜につぶやかれるのだが、この目に見えない恐怖は、いまわれわれが経験している漠然とした不安と直結している。

 

 ツイッターでは安倍内閣への抗議の声が無数にあがっている。

 いまの政権は、われわれに底知れない恐怖を与える。

 「今晩から少しこわくなる」

  

 

「十二歳のスペイン風邪 大伯母の百年前日記 野田正子日記抄」の編者後記を、国民投票法改正案に抗議して、一足先にここにあげる。  

 

〈編者後記〉

 大伯母の日記には、興味の尽きない事がまだまだ記されている。紙数を大幅に過ぎて、というよりも、わたしが熱狂するあまり無制限にこの日記掲載を許していただいたことで、常軌を逸した分量になってしまった。

 二月一九日の夜、「少しのどと頭が痛かつたから早く寝た」と記して、その翌日から十六日間も寝込んでしまうのは、大伯母はおそらくスペイン風邪にかかったのだと思われる。病気中も一行足らずでも日記がつけられたのは、軽症で済んだためだろうか。しかし、二週間余りも病床にあったのだから、ただの風邪でなかった。「熱の高さは朝六度八分 昼は七度二三分 夜は七度五分」(二月二六日)、「熱は毎日同じ高さで上り下りもしない」(二月二七日)と、律儀に体調を書き記していて、SNSなどなかった時代、病状がタイムラインのように読めることには驚く。

 日をさかのぼって読みこめば、大伯母の感染経路も推測できる。発症の五日前、二月一四日に「母は渋谷の姉さんが流感で寝てゐられるのでお手伝に行かれた。女中もかぜで郷里へ帰つたので兄さんが困つてゐらしやつたさうだ。」と記す。大伯母の母が流感の感染者と濃厚接触をしていたのである。

 確かに、この日記をスパニッシュ・インフルエンザに関わる史料として疫学的に見るのなら、病床の十六日間とその前後、風邪の流行に関わる記述だけを追えば良かった。

 ただそれでは、大伯母の筆が書き遺したことの本質が半減する。

 スペイン風邪の患者数、死亡者数とも最大に達するのは大正七年(一九一八)一一月のことだが、大伯母のまわりにも病気になる人や、「此頃新聞を見ると黒枠の広告が沢山ついてゐる」(一一月一二日)と、明らかに感染症の拡大が日記には記し留められていた。社会全体が目に見えない不安に包まれているなか、「夜父は広島へおこしになつた。/今晩から少しこはくなる」とたった二行で記された日がある(一一月一一日)。これは単に父の不在が不安というより、十二歳の少女が漠然とした死に直面して畏れを抱いている。

 このたった二行が、長命だった大伯母の一生と吊り合っていると感じるのは、編者の深読みに過ぎるだろうか。

 

季村敏夫個人誌『河口から 6』掲載

ブッダ・カフェ 第108回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第108回


4月25日(土)
13:00〜16:30
場所:めいめいのいる場所で

 

解脱(ケダチ/げだつ)ノ光輪(クワウリン/こうりん) キハモナシ

光触(クワウソク/こうそく)カフ(む)ル モノハ ミナ

有無(ウム)ヲハナルト ノへ(べ)タマフ

平等覚(ヒヤウトウカク/びょうどうかく)ニ 帰命(クヰミヤウ/きみょう)セヨ

浄土和讃 讃南無阿弥陀偈和讃 五」

 

 われわれ生死の懊悩は、無辺の光にひとたび触れれば、たちまちに氷解する。分別をつけて有無を測ろうなどとする心根からは、いっさい離れてしまおうと仰ってるのだ。平等の慈悲ですべてを救う阿弥陀仏をひとえに頼りなさい。(拙訳)

 

 
 4月25日(土)のブッダ・カフェは、いまここにいるめいめいの場所での開催とします。わたし、扉野はいつもの部屋でみなさんと一緒にいるつもりで過ごします。

 来月も集うことが難しい状況であれば、ブッダカフェのZOOMによるオンライン開催も考えております。

 なお、4月25日は、14:00〜16:00の時間帯で、メリーゴーランド京都-ミシマ社企画による、藤原辰史さんのオンライン講演「パンデミックを生きる指針 ー歴史研究のアプローチ」の配信があります。

 藤原辰史さんは、このコロナ禍に動揺する人間社会をもういちど見つめ直して、人類にとって未来はどうあるべきか、身近な実現可能なところから考える指針、つまり見通しの効かない森の中でひとつの方向を示してくださると思います。

 徳正寺に足を運んだつもりで、藤原さんの話を聞いてみるのも良いかもしれません。有料です。

 


緊急オンライントークイベント
パンデミックを生きる指針
ー歴史研究のアプローチー


藤原辰史(ふじはらたつし/人文科学研究所准教授)

三島邦弘(みしまくにひろ/ミシマ社代表)

鈴木 潤(すずきじゅん/メリーゴーランド京都店長)

4月25日(土) 14:00 - 16:00

100年前に起こったスペイン風邪の歴史を掘り起こしながら、今後どういう事態が起こりうるか、その上で、今後さらに明らかにされるであろう(もともと存在していた)社会の卑しさや矛盾を二度と繰り返さなきように、コロナ後の仕組みの組み直しについて、皆さんと考えていければと思います。

 

オンライン配信(ZOOMによる配信)チケット(定員50名)

●オンライン配信チケットのみ 3,300円 税込
●本つき配信チケット(ミシマ社の雑誌『ちゃぶ台Vol.5』1冊つき 4,510円税込)
●本つき配信チケット(藤原辰史『分解の哲学』〈署名入〉1冊つき 5,390円税込)

※ 「本つき配信チケット」はチケット代が500円引きになっています!
※ オンライン配信をご覧いただくには、インターネット環境が必要です。
※ チケットをご購入の方に、配信URLをお送りいたします。
※ やむを得ない事情によりライブ配信ができなかった場合、ご返金いたします。


ミシマ社HP (https://mishimasha.com/mishinews/chabudai05/001799.html)からご購入いただけます。

オンライン配信イベント(zoom)の参加方法についてはこちらをご覧ください。

14:00〜15:00 藤原辰史
15:05〜16:00 鼎談(藤原辰史×三島邦弘×鈴木 潤)


藤原辰史(ふじはらたつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツ有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』ほか著書多数。

 

 

妙好人のフィールド 大月健さんのこと

 大月健さんが他界して六年が経たんとする。年回で数えると七回忌。

 家の辻潤の本が置かれるところに行くと、大月さんの癖のある懐かしい筆跡の手紙やメモが本の間に挟まれていて、立ち止まりとりだして眺める。

 誰だってそうなのだが、大月さんのような人には二度と会えないと強く思う。大月さんは唯一の人、唯一者だった。

 

 去年の三月の終わり、藤原辰史さんと話す機会があった。藤原さんが大月さんのことをとても慕っていたのだと、人づてに聞いていたので、開口一番大月さんのことを尋ねた。そうしたら、「ぼく、スピリッツの試合に出たことがあるんですよ」とおっしゃる。おどろいた。大月さんは京大農学部図書室の司書で、藤原さんはおそらく貸出カウンター越しに大月さんと出会ったのだろう。大月さんは草野球チームのピッチャーで、試合が近づくと図書室に来る学生を摑まえて、「◯◯くん、野球やらんか」とスカウトした。藤原さんもきっとそうだ。だが、藤原さんは野球はまったくできないと言う。おそらく九人揃わず、「立ってるだけでええから、大丈夫、大丈夫」と大月さんは藤原さんにお願いしたにちがいない。

 大月さんを好きな人は、大月さんの頼みごとを断わることができない。そういう人だった。反対に大月さんに無理なお願い(たとえば草野球の月例ミーティングに行ってもらったり、酒場に誘ったり)をしても、「あ、ええよぉ」と、われわれはすぐ大月さんに甘えてしまう。

 

 三年程前、『屋上野球』というリトルマガジンにコラムを頼まれた。お題は「野球と仏教」。わたしが僧侶だからだった。しかし、大月さんのことを書くことは決めていた。大月さんのことを書いておきたい、それもマウンド上の大月さんのことを書きたいと思った。

 

 このごろ藤原辰史さんの文章に触れると、その向こうに大月さんを思う。

 

 

妙好人のフィールド

大月健さんのこと

 

 草野球を二十年続けている。それだけ続けてもいれば、チームでは一目を置かれるプレーヤーなのかもしれないが、ライトの8番を二十年、不動のライパチくん。なにしろ草野球チームに入ってから野球を始めた。それまでの野球歴はないに等しい。もともと運動にうとく、キャッチボールさえ覚束ないから、当時二十代半ばにして、上達する伸びしろがほとんどなかった。にもかかわらず、二十年も続けられたのはなぜだろうか。

 二十年をふり返ると、野球のできなかったわたしを草野球に引っぱりこんだ二人のチームメイトが、この七年のうちに他界している。チームメイトと言っても、親父ほど年の差があった。そのひとり、大月健さんについて語りたい。

 大月さんはひょろっとして、日に焼けた顔にヒゲを蓄えて、初めて会ったときは、笑うとヒゲの間からヤニに汚れた乱杭歯がのぞいた。冬でも上着をまとわず長袖シャツだけで、年から年ぢゅう素足に雪駄。いつも天然パーマの髪をなびかせ、京大のキャンバスを歩いていた。農学部図書館の司書を務めるかたわら、若き日から辻潤に私淑し、個人誌『唯一者』をコツコツと編集、刊行した。「唯一者」とは、マックス・スティルナーの『唯一者とその所有』に由来する。「唯一者」という在り方は、大月さんを捉えて離さない思想だった。「唯一者」とは、自分自身を所有する「唯一無二の人間」を意味する。究極のエゴイズムとも言われる。

 大月さんにとって、唯一者と、九人でプレイする野球というは、どんな関係にあったのだろうか。

 大月さんはピッチャーだった。どくとくのフォームから繰りだす投球は、人柄のまま大らかで、ブンブン振り回す打者からは、気持ちがいいまでにストライクが取れた。

 大月さんのすごいところは、仏教で言う三毒、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち/欲・怒り・愚痴)を感じさせない。共にフィールドでプレイしていると、それがよくわかる。わたしが凡フライを落球しても、マウンドから「ええよ、ええよ」と手を振ってくれるのだ。

 浄土の仏者に妙好人と呼ばれる人がいる。それは、市井に生きた、動かぬ信心をもった無名の篤信家、聖人である。妙好人の言動は、周囲の人を揺さぶって信心へと導いた。

 大月さんは妙好人だったのかもしれない。

 大月さんの言行を採って、大月さんを妙好人に祀りあげることは可能だろう。しかし、大月さんのことを描こうとして、描けば描くほど、大月さんの言動は特別なものになり、大月さんを聖人化して、わたしが知っている大月さんの実像から離れてしまう。

 「共にフィールドでプレイしていると、それがよくわかる」と先ほど書いた。妙好人が周囲の人を揺さぶったのは、同じフィールトに立って、その人と面と向かって何かを感じたからである。そのフィールドを描かなければ、妙好人の何たるかは知れないのではないか。歴史の上では、妙好人が「動かぬ信念」をもったと言うが、妙好人が生きたフィールドでは、その信念は、もっと流動的だった。

 こう考えてくると、大月さんが胸にいだいた「唯一者」という唯一無二の「動かぬ信念」は、フィールドを転がるボールとしてイメージされてくる。事実、大月さんは、ピッチャーとしてボールを手放さなければ、野球は始まらなかった。

 わたしは、唯一無二のわたしを取り囲むフィールドに、転々ところがり続ける大月さんが投げた球を、今もって追い続けている。

 

(『屋上野球vol.3』2017年9月)

コロナに思う

 書き始めたメールが下書トレイに入ったまま一ヶ月以上、今日こそと思って読み直してみると、十日ほど前に書いたことがもうフェーズにあてはまらなくなっており、いままで自分の感じて来た時間と世の中の時間、というより人間が社会生活を送るため築いてきた時間の観念(そこから歴史的時間も観測される)が、生物(生成)の時間や地球(宇宙)の時間の流れに呑まれてしまったような状況が生じているのだろうと思います。

 以下は、この1ヶ月ほどの間に考えたことが地層のようになった文章なので、一貫性がないようですが、それを承知でお読みください。

 

 コロナ感染症の拡大で文明社会がどんどんと侵食されていくようで、人類が進歩し、この先も発展に向かおうとする道はもはや閉ざされつつあるように見えます(安倍晋三はこの後に及んで経済のV字回復など言っていますが空虚)。いや、誰もがうすうすそうなるとは感じてはいたのでしょう。でも、そのことに改めて人が気がつくのであれば、コロナウィルスとの遭遇を奇貨にして、いずれこの転換期を乗り越えて人類の叡智に結ばれるのかもしれないし、あるいはそれを正視できず、諍いと分断を続けるのであれば、国は、いや人類は早晩滅亡するだろうシナリオも見えて来ました。事態の推移から目を逸らしてはならないと切実に考える日々ですが、コロナのニュースに触れ続けているというのも滅入ってしまいます。

 

 親鸞が云う「悪を転じて徳となす正智(しょうち)」とは、仏に有って、われわれ人は有(も)ち得ないものではあるけれど、この悪玉ウィルスによって、私たちは大事な選択を迫られているように直観します。そうはいえ、それは本当に我々の手による政治的選択、あるいは人類の歴史に相沿う選択という類で収まることだろうか。コロナの拡大を見ていると、われわれはすでに選択する機会を喪っているようにも思えるのです。自業自得。それでも、その選択が、我々の届かぬところで仏の正智に委ねられているのだとすれば(それはある意味で「選択する機会を喪っている」ことと表裏一体)、どうにも仕方ないのだと気持ちが鎮まっても来ます。目の前の家族や友人、何より子どもの将来を思うと暗澹としてしまうのですが、顔をあげて前方を凝視めることで家族を守る心構えが大切だし、そうしないと瞬く間に命を落とすように感じます。

 

 鶴見俊輔氏が、柳宗悦について書いた文の中で、南無阿弥陀仏が「(他力により)人間がすくわれていることを言いあらわす」としていました。これは、蓮如の「御文」にある、「南無阿弥陀仏の六字のすがたは、すなはちわれら一切衆生の平等にたすかりつるすがた」という一節の現代語訳ではないかと気がつきました(鶴見さんの言い回しは柳宗悦から得たのでしょうか)。

 

 御文は応仁の乱に始まる乱世に生まれた信仰の言葉です。今のコロナ禍は、この緊急事態宣言をもって有事の状態に一歩踏み入れたように感じます。その一歩を踏ませたのは政治であり、その結果人命には優劣があることが如実に示されました。近代は人間の自由・平等を前提に進歩してきましたが、その理念の実践では前進と後退を繰り返し、少し前進しても必ず大きく引き戻されてしまう仕組みになっているようです。そう考えると、近代には、それが実現不能とさせる、さらに大きな仕組みがあって、近代とはその仕組みの上で縮小再生産を繰り返しているのではないでしょうか。

 

 コロナウィルスは平等に我々を扱います。この平等は、近代が前提とする平等と、それはどう違うのでしょう。

 

 先月17日、彼岸の入りの日に予定していました住職継職の法要は延期しました。ご報告が遅くなり申し訳ありません。5月下旬頃に改めてと予定していたのですが、現状を考えるとそれも難しいようです。彼岸会法要は、仏前にあまねく人たちと朋にあるのが住持の勤めでもあるため、予定どおり厳修したのですが、そのとき御門徒を前に法話として話したことがあります。

 

 以下、法話の文案を加筆修正したものです。

 

解脱(ケダチ/げだつ)ノ光輪(クワウリン/こうりん) キハモナシ

光触(クワウソク/こうそく)カフ(む)ル モノハ ミナ

有無(ウム)ヲハナルト ノへ(べ)タマフ

平等覚(ヒヤウトウカク/びょうどうかく)ニ 帰命(クヰミヤウ/きみょう)セヨ

親鸞浄土和讃 讃南無阿弥陀偈和讃 五」

 

われわれ生死の懊悩は、無辺の光にひとたび触れれば、たちまちに氷解する。分別をつけて有無を測ろうなどとする心根からは、いっさい離れてしまおうと仰ってるのだ。平等の慈悲ですべてを救う阿弥陀仏をひとえに頼りなさい。(拙訳)

 

 コロナはラテン語で王冠を意味するといいます。英語のクラウン(王冠)はコロナから来ました。空に薄い雲がかかり、太陽の周縁に色づいた青白い光の円盤が見える光学現象を光冠といい、これもコロナと称するそうです。また皆既日食を観測すると、太陽を覆った月の外周に真珠色の淡い光が漏れて見えます。これは太陽の最外層の熾(も)え盛る大気で、コロナと言えば太陽コロナを思い浮かべる方も多いでしょう。コロナウィルスがなぜコロナと呼ばれるかは、電子顕微鏡で観察したウィルスの外観が、太陽コロナを思わせる表面突起の縁をもつことに由来するのです。

 コロナが、この度は肺炎を誘発する悪玉ウィルスとして人間社会を襲ったため、いまやコロナと聞くだけで恐れおののくようになりました。その上、見えないウィルスに色をつけて、誰かがコホンと咳をしただけで白い眼で見るような(見られるような)、過剰なまでの反応が加速しています。どうも人は、すぐ分別をつけたがる性(さが)からは逃れられないようです。この悪玉に対し、どうしてコロナという善玉のような名が与えられたのか。

 さて、最初にあげた親鸞聖人の和讃に、「解脱の光輪きはもなし」と始まるよく知られた一首があります。この「光輪」という言葉、その音といい意味といい「コロナ」と読めないでしょうか。このように煩悩に熾(も)え盛るわれわれを、阿弥陀仏おひとり憐れんで、わが名を称えるものは、ただちに浄土へ、すべて平等に迎えとろうという誓願(本願)をお立てになっておいでだ。阿弥陀仏から発する光輪(コロナ)に触れるものはみな、おのれの分別をつける心根から苦しみが生じ来ることを思い知るのです。

 ただただ念仏すること。すなわち他力、人間がすくわれていることを言いあらわす「南無阿弥陀仏」に身をゆだねることにより、われわれは救われる。

 

 コロナウィルスは平等に我々を扱います。この平等は、生物(生成)の時間や地球(宇宙)の時間を自然と受け入れていた近代以前、すなわち中世にまで我々を引き戻して、人類普遍の平等を教えてくれるのではないでしょうか。

 

 南無阿弥陀仏が私の中で称えられていると、これほどまで感じたことはない日々です。