ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

☆-「Kuchusen Plays TAROUPHO─空中線書局・アトリエ空中線によるオマージュ・タルホ展」-作品紹介

稲垣足穂「作家」誌掲載作品コレクション・ポートフォリオ』プラン
  (企画=りいぶる・とふん、解題=高橋信行、装画=山下陽子、造本=アトリエ空中線)



          




稲垣足穂
『作家』誌掲載作品
コレクション・
ポートフォリオ

 その趣意



 十年程前、京都アスタルテ書房で、稲垣足穂作品のみ雑誌から切りとった掲載ページの束が、紙袋に納めて棚に差してあった。久しく欲しかったユリイカ版『稲垣足穂全集』の端本を見つけたものの、高値に手が出ず、何度も手に取っては戻しつしていた或る日のことだ。何かを入れた同書房の黒い封筒が、ユリイカ版『全集』の横手に差しこまれていた。
 封筒に入ったタルホの作品は『作家』誌に掲載されたものばかりが10点と、ガリ版刷り3枚綴の「稲垣足穂『作家』誌発表作品目録」(昭和37年10月現在)、掲載誌の目次からタイトル部分だけ栞状に切り抜いた紙片がハラハラと封筒の底から六枚落ちてきた。バラバラに収められた誌面から、亀山巖さんのイラストレーションが覗いた。ユリイカ版『稲垣足穂作品集』をさしおいて、わたしが封筒を求めたのは勿論のことだ。
 とりわけ「タルホ・クラシックス(XXXVII)弥勒」(『作家』昭和33年12月号)の扉ページの亀山さんの細密なペン画に息を呑んだ。あとで読んで判ったが、夜具を失って極寒の中「褐色に焼けたカーテンを巻付けてゐる行倒れ死体」さながらまどろむ江美留の姿が描かれていた。それは、グロテスクな印象を抱かせない、どちらかというと木石のような、いちど見ては忘れられない絵であった。紙も褐色に焼けて、そのもの弥勒世界に誘ってくれる雰囲気をともなった。まずタルホ作品を読むにあって、古雑誌の誌面に如くものはないように感じられた。

 『作家』誌上「タルホ・クラシックス」の連載が、単行本化にあたり、その後の作品テクストの概ねの最終形態とされてきたことは、足穂自身の意志も反映され、本格的な稲垣足穂全集として企図された現代思潮社版『稲垣足穂大全』に概ね結実している。その編纂上、「クラシックス」の連載無くしては生まれなかった全集である。
 当然のことながら、編集過程で生前の意志を反映した単行書、ユリイカ版『全集』(伊達得夫の死により未完)や『大全』などのコンプリート・ワークスの持つ意味が、今後も失われることはない。
 しかし、生前既刊の単行書、作品集(および単行書未収録の雑誌掲載作品)のテクストを完成形と判定し収録した、足穂没後に編纂された唯一の『全集』(筑摩書房)で自足するタルホ愛読者諸氏に、わたしはそっと教えたい。作品発表の劇場たる雑誌と、その舞台としての紙面に匂いたつアトモスフィアが失われていることを。
 
 『足穂拾遺物語』(青土社、二〇〇八年)のカヴァーを折り返したところに記された略歴に、稲垣足穂を「20世紀日本モダニスト-マガジニストの代表選手」と紹介している。まずこの書が筑摩版全集後、既発見のタルホ・ワークスのコンプリートを目指しつつ、「20世紀マガジニスト」としての稲垣足穂を紹介したことに目新しさを覚えた。
 『稲垣足穂「作家」誌掲載作品コレクション・ポートフォリオ』は、その企図として、マガジニスト稲垣足穂の、in book form を in magazine form に再編し、そのじつ book でも magazine とも異った形態(ただし模造物かもしれない)を目指すものとして制作されたものである。