ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

宇野亜喜良のスティル_『新婦人』

メリーゴーランドで開催中の「宇野亜喜良のスティル」展に展示中の『新婦人』についての紹介文を書きました。
解説がないままだったことをお詫びいたします。すでに会期4日目となりましたが、もう展示をご覧になられた方はこちらで参照ください。



¶ 『新婦人』は、戦後間もない1946年に創刊された女性誌です。発行所が池坊学園お茶の水学院内の文化実業社に置かれたように(1954年から)『新婦人』は、戦後民主主義の新しき伝統、教養としていけばなを定着させるべく、とりわけ婚前の若い女性に向けられた池坊華道のPR誌でもありました。
¶ 昭和30年代(1955 - 65年)の『新婦人』は「花と暮しと教養雑誌」と謳いつつも、いけばな、花嫁教養的記事にまぎれて、じつに多くの美術や文学、音楽、映画、読書など、当時の新しいカルチャーの紹介に誌面を割き、若かりし日の澁澤龍彦寺山修司武満徹秋山邦晴山口勝弘、オノヨーコといった作家、詩人、アーティストの寄稿が目をひきます。アートディレクション杉浦康平がついて、杉浦の采配でしょう、粟津潔和田誠横尾忠則といった新進のデザイナーが目次レイアウトやイラストレーションを担当しました。なかでも宇野亜喜良は『新婦人』のイメージを一新しました。
¶『新婦人』に宇野亜喜良が登場するのは、1960年1月号から。別丁扉で、牧 羊子、岸田衿子山口洋子の三人の女性詩人(作家)の作品に、宇野がイラストレーションを添えるというものでした。詩には毎号、「白の季節」「もえぎの季節」「にびいろの季節」「血の色の季節」と季節を色であらわし、その季節の色に詩が応じ、イラストレーションと詩と季節とが呼びあう仕掛けを宇野亜喜良は限られた誌面で展開しています。また用紙、タイプフェイス、刷り色を変えるなど、エディトリアル・デザインの実験を試みてもいるのです。宇野は、別丁扉の連載に続いて翌年から表紙のデザインを担当し、鈴木恒夫の写真と宇野のイラストレーションを組み合わせた華麗なるデザインワークを1966年まで繰りひろげました。