ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

ブッダ・カフェ 第125回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第125回

9月25日(土)

13:00〜16:30

 

明日25日、いつも通りブッダカフェを開催します。
いつもの客殿座敷で話しましょう。


場所:

徳正寺(とくしょうじ)

〒600-8051

京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

 
 

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角に旧ジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。

 
 
 

参加費:300円

ブッダ・カフェ 第124回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第124回

8月25日(水)

13:00〜16:30

 

明後日25日、住職は不在となりますが、いつも通りブッダカフェを開催します。
いつもの客殿座敷でゆっくりとしてください。

 
場所:

徳正寺(とくしょうじ)

〒600-8051

京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

 
 

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角に旧ジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。

 
 
 

参加費:300円

 

ブッダ・カフェ 第123回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第123回

7月25日(日)

13:00〜16:30


場所:

徳正寺(とくしょうじ)

〒600-8051

京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

 
 

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角に旧ジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。

 
 
 

参加費:300円

 

ブッダ・カフェ 第122回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第122回

6月25日(金)

13:00〜16:30


場所:

徳正寺(とくしょうじ)

〒600-8051

京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

 
 

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角に旧ジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。

 
 
 

参加費:300円

 
 
 

ブッダカフェの開催時間中に下記のイベントを、本堂でスクリーン上映会をします。​

 

メリーゴーランド京都 企画

 

谷川俊太郎 × 山極寿一   対談

「言葉と野生の間で」

オンライン・レクチャー

on-line LECTURE vol.10

 
 
 

2021年 6月25日(金)

14:00 - 16:00 

参加費 2,800円(定員20名)

 

ブッダカフェに5回以上の参加の方は1,300円で視聴ができます。

 

参加申し込みは、info@tokushoji1476.com

もしくは090-1902-3107(扉野まで)

 

ブッダ カフェ10年 ブッダ カフェとは

 25日のブッダカフェ 第121回は、2011年5月1日に第1回目を開催してから10年という周年を迎える。
 十年一昔というが、どうもこの十年はひと昔と思えることが少ないように感じる。どのこともついこの間のこととして思い出されてくる。自分の年齢(今年50歳)が、もう若い時と違うからなのかもしれないが、それにしても早い。
 毎月、毎月25日にブッダ カフェを開き、毎月のように来てくださる方もあれば、一度だけいらした方、また何年か振りで訪ねてくださる方も大勢いらっしゃる。平均すると、毎回3人から4人の方が来てくれただろうか。360人から480人という延べ人数になるのだが、これは多いのだろうか少ないのだろうか。いや多寡で量ることなどできないことだ。毎月一度、3時間半を3人から4人の方と座談を続けてきた。この時間の積み重ねは、どうも「過去」という時間に縛りとめることはできないように感じる。
 これからもブッダ カフェは毎月一度、続いていくことだろう。始まりの会から、ずっと続きの話をしてきた気がする。今は昔、昔は今である。
 

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 第1回目を開いたあと、ぶろぐ・とふんを開設し、初めての投稿に「ブッダカフェとは」という題で書いた。
 徳正寺のホームページを作り、ブッダ カフェの案内もここから発信するようにしたので、ぶろぐ・とふん から「ブッダカフェとは」を再録しておく。

 

www.tokushoji1476.com


 
《 》に今の感想や付記を入れました。
 
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ブッダ カフェとは
 
ブッダカフェの呼びかけのため、知人たちに送ったメール文を転載します。
 
Buddha Cafe
ブッダ・カフェ
@京都・徳正寺
 
 
ブッダカフェとは──────扉野良人
 
 
 ブッダカフェという、人と人と会える場と時間を作れないものか、寺でテーブルを囲んでのひとときを過ごす、小さくて淡いコミュニティーを、カフェというスタイルにもとめての試みです。
 耳を澄ませてブッダ智慧にあずかるほどの茶話ができればと願っています。
 
 5月1日にその始まりの会を開いて、13名ほどの方が集いました。「東日本震災と関西交流会」のメーリングリストにより告知したので、それに応じて参加してくださった方々が中心となりました。福島県から西日本に避難してきた人たちに呼びかけたこともあって、大阪高槻に住まいを定めた母と子が来てくださいました。
 
 会の報告はのちほど記します。
 
 まずブッダ・カフェを開くにいたるまでのいきさつを言えば、去る3月28日に催された旧グッゲンハイム邸(塩屋)での「また会えたね〜震災、原発、仙台からここへ〜」という集りに、私たち家族で参加したことがありました。
 仕事を終えて京都から駆けつけたので、会の後半のみの参加でしたが、そこで罹災と放射能への恐れをいだいて西日本へ逃れてきた方たちの切実な声を聞き、それまで自分の思考や発想の拠りどころとしてきたものがぐらぐらとゆらいでしまった。
 これまでわたしがなにを拠りどころとしてきたか、わたしの思いつく持ち札は「文学」「芸術」「仏教」とやけに大きなテーマなのですが、あくまで自己中心的なものとしてわたし自身を跡づけてきた「理想」が試されるているような心地がしたのです。
 このままでいいとも思い、また一方でこのままではいけないとも感じました。
 
 
 3.11以来、わたしは直接的になんら行動も起こさず(僅かばかりの募金をしただけで)、いま目の前の日常を大事に送ろうと思っていました。この惨禍の波が形を変えて自分にも寄せてくれば、そのときの身の動き、判断にまかせればよいというくらいの暢気なものでした。とはいえ気持ちはささくれ、マスメディアの報じる原発事故の消息に戦き、そして深い嘆息をつくばかりの日々。嘆息をつけば、そのことで自分が何かを憂えていると安心ができました。
 
 もどかしい気持ちのつのるいっぽう、わたしはなるべく早い時点で仙台を訪ね、さらに気仙沼を訪ねようと企ててもいました。それも、そこに会うべき友人、知人がいるという一方的な理由からに過ぎなくて、どういうわけか行った先できっと喜んで迎えてもらえるような仄かな期待もしていたのです。
 じつは会うべき仙台の友人、気仙沼の知人というのはいまだ会ったことがない間接的な友人、知人だったと言えば呆れられましょう。何をしにきたと追い返されたかもしれません。
 
 
 そのような能天気さのなかに、わたしは震災後しばらくいました。
 もしかするとつとめて能天気でいようとしていたのかもしれません。地震のあった夜は、東京から来た友だちと酒場で飲んでいました。
 
 会場となった古い西洋館の広間でも、木の階段の踊り場でも、子どもたちが駈け巡って、
声があちこちで聞こえてきました。テーブルを囲んでの張りつめた集会の空気をよそに、わたしは子どもたちの声に耳を澄ませていた。
 「子ども」から考えること。それが、どれほど私たちの拠りどころとなり得るかを、「また会えたね〜震災、原発、仙台からここへ〜」がよこしてくれたメッセージとして今も受けとめています。
 
 もうひとつ 、わたしたちが旧グッゲンハイム邸に足を運んだのには、その5日前の23日(震災から12日目)に仙台のブックカフェ火星の庭店主、前野久美子さんと娘のめぐたんが、ひょっこり私たち家族の前に現れたことでした。先に書いた、いまだ会ったことのなかった仙台の友人とは前野さんのことです(いずれ近い日に前野健一さんとも会いたいです)。これには驚きました。わたしにはまれびと(賓客/客人─海の彼方の異境から来訪して、人々に祝福を与えて去る神)の来訪を受けたような嬉しさがありました。
 それからの3日間、久美子さんめぐたん母子と私たち家族は京都の自宅や三重県の妻の実家で寝食をともにし、震災のはなしはもちろん他愛のないはなしで笑ったり、互いに子どもをもつ身として子育ての話などしながら(妻が久美子さんと意気投合していましたが)、家族同士で過ごす時間を持ったことが、こんかいの震災と原発事故の現実にどう向き合うかの足場を私たちに与えてくれたように思います。
 人と人とが出会う大事さを教えられた3日間でした。
 
 人と出会うことが行動を生むものなのか、4月10日に北白川ガケ書房山下賢二店長との共同企画で「ガラクタを想像力に変える投げ銭市」を店の前のフリースペースで開催し、「また会えたね〜震災、原発、仙台からここへ〜」に集った方たちに呼びかけてガケ書房の近くの児童館で集会を開きました。
 そのときの告知文を再録しておきます。
 
>>
「ガラクタを想像力に変える投げ銭市」
 
 地震の発生から時間は刻々と過ぎ、事態は移ろい、新たな緊張が満ちては引く毎日です。
 わたしたち西日本にいるものは、どうしてもテレビやラジオ、PCの電源を消せばなにかわらぬ日常が目の前にあって、そのことにこれでいいものかと、目を瞑って平静をたもてずそわそわ、ざわざわとすることで、奇妙な平静を保とうとしているのかもしれません。
 この非日常において、各人が身の回りに持っているもの(モノ、唄、作品、ことばetc・・・)を投げ銭という形で手放す(リリース)ことで、「想像力を善きことに使う」(古川日出男)試み。
 
4月10日(日)12:00〜日没まで
「ガラクタを想像力に変える投げ銭市」 ガケ書房 正面
(15:00から震災避難されている方達の集会あり)
 
古本、作品、歌声やお経や演奏、パフォーマンス、身の回りのものなんでもをすべて投げ銭で交換する。ライブステージが無い時間は、自由参加枠として、飛び込みで自由に個人の所有物を販売したりも可能。
<<
 
 
 そのころ各処で集会やデモ、チャリティ・ライブなどが催されていましたが、「ガラクタを想像力に変える投げ銭市」では来客に被災地への支援を募るような直接的な目的は設定しないで開催しようという主催者の了解がありました。
 
 その趣意をくみとってブログに紹介してくださった方があったのがありがたかったです。
 
 
 
 
>>
「為才の日記」
 
前回、鶴見俊輔先生が、3月31日夕に朝日新聞で発表された「身ぶり手ぶりから始めよう」と題された文章を紹介した。それは、はるか古代日本で、文字文明技術文明より前に、物々交換的交易でも使われたであろう動きを、被災地に発見するという内容だったが、なんと、呼応する(んではないかと勝手に思っています)イベントが「ガケ書房」で行われる。
<<
 
 
 という書き出しで、以下長いですが為才さんの記してくださったものを引かせていただきます。
 
>>
いちばん手元におきたいものを、率先して、他者に売り、新しいほしいものを買う行為の持続が、一番ほしいものを手に入れるもとになっている気がするからだ。これは一種宗教的でもある作法で、なまなかにはその境地には立てまい。
 「投げ銭市」も、個人的には、そういう作法での誘いで、鶴見先生の文章となんとなく通い合う。
 モノを経済的マーケットでの価値のみで計ると、究極には株価のようにゼロか無限かにならざるをえないだろう。そんなジェットコースターのような危うい市場でかろうじて均衡が取れている時間は、今回の原発事故を含む大きな危機に遭遇すれば、そうそう長くはないと思わざるを得ない。
 今までの日本の社会(つまりアメリカ文明)のスタンダード(基準)、法規的な正義(株主重視経営とコンプライアンス)、経済的効率的な功利(マーケットという神)を、たとえば地震対策に厳格にあてはめるほど、復興には長大な時間がかかる。
 現在、夏の計画停電の必須事態を政府は告知している。その前で、刻々と見直しすべき事態が迫っている。長期的に有効な、安全な社会のためのプランをみんなで考えないと、これより先は進めないのではないだろうか。
 東電は、原発事故の安全管理に、もちろん新しい原発はそうじゃないと言うだろうが、経済的効率的な基準を適用したから、結果として危険な施設を稼動させていた。
 鶴見先生によれば、近くは明治の開化、古くは文字(言語コミュニケーション)の発明以来、人類はこれを目指し、進んできたとすれば、簡単にそれはやめれるものではない。もちろん、復旧は至上の命題である。
 しかし、何が本当に効率的かを考えるために、いままで効率的と当然考えたことを疑い、他のエネルギー利用を含めて、考え直す必要はあるだろう。人間が金銭から価値評価の基準を奪い返すには、個人的な顔の見える、交渉をひとつづつ重ねるほかないのではないか。
 そのためには、今まで身の回りにあった、文明生活の棚卸しを実行し、もっとも貴重であった親しんだ生活そのものの一部を、「投げ銭」に変えることも考えなければならないのではないだろうか。
 上記「ガケ書房」のイベントは、その鍵は「想像力」だと提案しているようだ。
<<
 
 私たちが考えた以上に為才さんが「個人的な顔の見える、交渉をひとつづつ重ねる」ことの大切さを伝えてくださいました。
 
 10日の児童館での集会では仙台から避難してきたひとりの高校生の声が印象的でした。彼女ひとり郷里にのこしてきた友人を気づかい、放射能の危険性を説いてまわり「個人的な顔の見える、交渉をひとつづつ重ね」たにもかかわらず、周囲の事情がゆるさず、結局彼女が向き合わなければならなかったのは「自分は子どもの立場で、大人の言うことには従わなければならない」という無力感であり、「大人の言うこと」とは「世間一般の常識」と対をなしていることでした。
 わたしたちは気がつかず「大人の言葉」を口にしているものです。「情報」というものが、まずそうなのでしょう。「情報」だけでは、ほんとうのところ人は動かせない。しかし、その「情報」を「ガラクタ」と見て、それを「ガラクタを想像力に変える」変換式に
かけると、ポンと目の前にボールが転がりだすような気がします。そのボールを使ってのキャッチボールが「個人的な顔の見える、交渉をひとつづつ重ねる」ことの始まりです。人数が集まればチームをつくってベースボールだってできます。
 
 ブッダカフェは「ガラクタを想像力に変える」試みの延長に生まれました。
 「個人的な顔の見える」ところで、自分にとっても相手にとっても必要十分な言葉だけが交わされる、鶴見俊輔さんの言う「身ぶり手ぶり」から始めることに重きを置きたいと願っています。
 
 
 5月1日の始まりの会は、福島県から放射能を逃れて西日本に定住することをすでに決めたお母さんと娘さんが来てくださいました。初めての土地に住むことの困難は計り知れず、娘さんの転入先の小学校や、住むためのさまざまな手続きのため苦労した話を聞きました。
 この社会は個人がなにかをしようとすると不備だらけのようです。彼女たちは、それを乗り越えて、まるで地縁もないにもかかわらず、土に根をはろうとする雑草の力強さを感じました(喩えが悪くてごめんなさい)。
 
 宮城県から来られたデザイナーの女性と、看護師をされる女性の方もいままで住んできた土地で築いてきたものをいちど捨ててまで、京都にやってこられて自分のスキルを生かせるような働き口を探しておられました。
 
 京都で美術作家をするKさんは、これまでいくつもコミュニティー・カフェをつくり、どのように自主運営で、それを長く続けていくかについて模索してきたことを話してくださいました。
 ブッダカフェはまだ経験が浅いので、こんごどのように進路を取るかKさんに相談をしたいと思います。
 Kさんもそうですが、この日も同席してくれた前野久美子さんの営むブック・カフェも「カフェ」とつくところで共通しているのがおもしろい。「カフェ」というものが、さまざまなスタイルで作られると、ちょっとしたムーブメントになるのではないかと想像してしまいました。
 
 
 1日の模様をもうすこし綴りたかったのですが、かなり長文のメールになってしまったので、このへんで筆を擱きます。
 
********************************
 
 以上のようなメールをBCCで送ったのは5/8のことでした。さいご力尽きて最初の集まりの報告が箇条書きになってしまいましたが、メールではこうした経緯や報告、個人的な思いを伝えるのに限界を感じて、ブログ開設を思い立った次第です。
 
 こんごブッダカフェを毎月一回、わたしの生家の徳正寺(京都市下京区)で開いていこうと思います。最初の集まりの13名ほどが、おそらくちょうどよい人数でしたので、多くて25名ほどで満席としたいです。
ブログを通じての連絡手段を考えていきたいです。
 
次回の日取りは
 
 
6月19日(日)《2011年の集まりです。このころは25日と固定せず不定期でした》
13:00〜17:00
 
となっています。
 
場所:
〒600-8051
京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39
徳正寺
 
 
 このブログを読んで、ブッダカフェに参加をご希望される方は
 住所/氏名/メール・アドレス/参加をご希望される理由
を記し、上記住所、扉野良人宛に往復葉書でお送りください。《ずいぶんめんどくさいことをしていたのだなぁ。》
 
 ブッダカフェが東日本震災をきっかけに生まれたものなので、はじめのうちは被災して西日本に避難されてる方たちが集まって、話ができるような場所としたいです。
 
 親子連れで来ていただいて、子どもたちが遊べるような企画も考えています。
 
 まだ試行錯誤の段階なので、このブログを通してブッダカフェの在り方を考えていこうと思います。

ブッダ・カフェ 第121回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第121回

 

仏法の高根の水、たゝ峯にのみ湛えて、何の徳用あらむ。低く陋き谷に降りてこそ、万機を潤す功はあむなれ。
 

親鸞聖人正明伝巻一上」(佐々木月樵編『親鸞伝叢書』無我山房、1912年)

  

 5月25日(火)は、ブッダ・カフェの日です。

 扉野は法務で不在していますが、いつもの客殿の座敷を開けています。いつもの座談においでください。

 


5月25日(火)

13:00〜16:30


場所:

徳正寺(とくしょうじ)

〒600-8051

京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角にジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。


参加費:

300円


「四月と十月」創刊20周年巡回展_日報extra

 先週金曜に「四月と十月」創刊20周年記念展の巡回先、名古屋ON READINGへ設営の手伝いで日帰りで行ってきた。同人への報告(日報)を書いたので、同展の宣伝もかねてここに転載する。

「四月と十月」創刊20周年巡回展_日報extra

 

4 月 23日(金)

 

 今日はON READING へ。「四月と十月」創刊20周年巡回展の設営で日帰り名古屋。

 子どもを学校へ送り出しわたしも出発。9:15発の高速バスはたった3人の乗客。信楽あたりの山は新緑におおわれ、ところどころ薄紫が挿すのは藤の花だった。

 前夜、「四月と十月」同人メールに次のように記した。

 

 京都も緊急事態宣言がふたたび出されようとしていますが、京都府知事が先手を打ってゴールデンウィークの観光客の流入を未然に防ごうという判断だと聞きました。それでも大阪と接していて、京都も感染者数がジリジリと上がってきています。/いま京都から名古屋に行くのも冒険で、黒田さんたちに負担をかけていないか少し心配ですが、とにかく対策を万全にして出かけます。

 

 と、県境を越えることにこれほど制約を感じることはこれまでなかった。

 翌朝、「名古屋への搬入、なんだか密入国をするかのようですね」と牧野さんからメールが入って、これはボスからの重要任務なのだと気が引きしまり、調子に乗って、「はい密入国です。/取引のブツは美術品。コードネームは「四月と十月」です。/詳細な指示をありがとうございます。あとは現場で勘を働かして任務を遂行してきます!」と、バス車中から返信していた。

 すると、牧野さんから「扉野さん、今日は袈裟をお脱ぎになって、一日トム・クルーズですな」、ニューヨークの早川さんからは「緊急事態宣言地帯に挟まれての綱渡り、こちらも緊張してしまいます」とメッセージが寄せられた。早川さんは続けて「名古屋は飾っていただける作品数が多いので、ハンギングには、時間がかかることと思います」と、手に汗を握るミッション・インポッシブルを具体的に示してくださり、ON READINGの設営に向かう我に返り、文面にあった「ハンギング」という耳なれない言葉に今回の越境の足がかりが見えるような気がして、早川さんへまじめに返事をしたためる。

 

 じつはこうしたタイミングで越境することに、この機を失したら見られなくなるものがあるような気がして出かけました。/何も変化ないかもしれません。/もしかして軽率な振る舞いだったと思い知らされるかも知れない。/でも普段より腰高になって見に行った方が、戻った時の視界が広いように思います。/ハンギングって釘を打つポイントに全てがかかるみたいで、設営より実感がでる言葉ですね。なるほど。/名古屋へ向かう足場が見えてきました。

 

 昼前に名古屋駅ビックカメラ前に到着。ON READINGに向かうには時間が早いので今池のシマウマ書房に寄り道する。前に訪れたのは12年前、その頃は本山に店があった。

 12年前とはっきり記憶するのは、その時シマウマ書房であったトークイベントにわたしも参加して、いっしょに登壇する書物雑誌『sumus』の同人に近々再婚する報告をしていちどうが驚くということがあった。その時の雑誌同人のなかに、現在『四月と十月』で連載をする岡崎武志さん、同じく24号、25号で寄稿のある南陀楼綾繁さんがいた。

 荻原魚雷さんのブログ文壇高円寺に当時のトークイベントの情報を見つけたので引いておく。

 

◎BOOKMARK NAGOYAイベント

◆「東西古本よもやまはなし sumusの集い」

日時:3月20日(金)午後6時〜 

会場:シマウマ書房

参加費:1000円

出演:林哲夫岡崎武志山本善行南陀楼綾繁荻原魚雷扉野良人

 

 西暦2009年のことだった。

 魚雷さんがトークの感想でわたしのことを記してくれている。

 

 同人が東京と京都に離れて住んでいたこともよかったともおもう。

 扉野さんがそうなのだけど、京都の「sumus」同人は、ものすごく時間をかけてひとつのことをほりさげる。

 そういうふうに書かれたものを読んだり、会って話したりしていると、知らず知らずのうちに自分が効率とスピードを追求し、世の中の変化にふりまわさていたことに気づかされる。

「ブックマーク・ナゴヤ

文壇高円寺 http://gyorai.blogspot.com/2009/03/

 

 

 いまも「同人が東京と京都に離れて住んでいた」という同じことが「四月と十月」で起こっていることがおもしろい。「四月と十月」の場合、もっと広く「同人が東京と京都と三島と高知と北九州と奄美大島と倉敷とニューヨークとに離れて住んで」いる。 名古屋にわたしがスッと行くことができたのも、どこか世の中の変化に一歩遅れているからではないだろうか。離れて住むことで時差が生じるのかもしれない。

 

 BOOKMARK NAGOYAというのは、その前年(2008年)に「本で街をつなぐ」ブックイベントとして始まった。いまネットで調べると2017年、第10回で幕を下ろした。驚いたのは、BOOKMARK NAGOYAの立ち上げにON READINGの黒田杏子さんが深く関わっていたことである。

 

 初回を振り返り黒田さんは「それぞれの書店で、イベント、フェアなどを開催していたがPRに苦労していた。当時、名古屋ではイベントもメディアも少なかった。みんなで使える大きなハコみたいなのがあったらいいなと考えたことがきっかけ」と話す。「当時は同業者(書店)同士が集まって一つの企画を作ることが珍しかった。横のつながりをつくれた」とも。

名古屋市内でブックイベント ブックマークナゴヤ 10回目で最終回」

名駅経済新聞ホームページ https://meieki.keizai.biz/headline/2447/

 

 もしかすると黒田杏子さんとは初対面ではなかったのかも。時を超えて人と人とが場所や紙の上(誌面)で結ばれていることに不思議な縁を感じる。おそらく、そのころから黒田杏子さんは人と人とを結びつける回路を作ってこられたのだろう。

 

 シマウマ書房の寄り道からずいぶん横道にそれてしまった。シマウマ書房の店主、鈴木創さんとも再会し(お互い顔を忘れていた)、10年の歳月を時々沈黙をはさみながら思いあったのだが、それを書いていては先に進めない。今池から地下鉄東山線東山公園下車、2番出口より徒歩1分にON READINGはあった。

 

 と、ここまで書いて夜も深まってきた。昨日の午前中、「ON READING搬入報告」として同人メールに送信した内容をペーストして設営、いやハンギングの様子の一端を知っていただきたい。

 

 設営を終えてゆっくり店を見て、お茶して帰るくらいの余裕で始めましたが、19時35分発の帰りのバスぎりぎりまでかかってしまいました。帰宅すると牧野さんからまだ名古屋にいるのではないかと心配して電話がありました。早々に報告ができず、ご心配をかけました。

 展示は、いちどは同人作品をすべて展示しようと開封したのですが、壁に沿って並べてみると、あまりにも窮屈になりそうで2点にしぼっています(作品番号の若い順に2点)。もし3×23の69点を展示することになっていたら、たぶん京都に帰れなかったでしょう。

 でも、黒田義隆さんとは左右の壁に別れて黙々とハンギングに徹する充実の時間でした。背中で会話ができました。

 杏子さんが来られるとおしゃべりに花が開き、牧野さんの隣に休ミちゃんの絵を置く理由をとくとくと説明したりしました。

 

 日報としては、私事に関することを長々ととくとくと書いてしまいました。

 さきほど杏子さんのことを「人と人とを結びつける回路」を作ってこられたと書いたけれど、ON READINGのおふたりは人が往来する回廊(ギャラリー)の壁に黙々と人が立ちどまり、手がかり足がかりとなる釘をうち、そこに見るものの心象を写す絵をハンギングしてきたのだろうと思う。

 

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onreading.jp

「四月と十月」創刊20周年記念 巡回展
2021年4月24日(土)~5月9日(日)

ON READING GALLERY
〒464-0807 名古屋市千種区東山通5-19 カメダビル2A & 2B
TEL/FAX: 052-789-0855
MAIL:  info<at>elvispress.jp
営業時間 / 12:00 – 20:00
定休日 / 火曜日

 

〈参加作家〉
稲垣えみ子・瓜生美雪・おおらいえみこ・オーライタロー・加藤休ミ・金井三和・作村裕介・白石ちえこ・鈴木安一郎・髙橋収・田口順二・扉野良人・浜中由紀・早川朋子・福田紀子・牧野伊三夫・松林誠・松林由味子・松本将次・三梨朋子・ミロコマチコ・山﨑杉夫・好宮佐知子