ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

毎日小学生新聞「みちくさの達人」

 むかし書いた文章の切り抜きがたくさん出てきたので、いま読んで面白いと思えるものにかぎり、画像でアップしていこうと思う。きまぐれなのでぼちぼちと紹介する。

 「みちくさの達人」は『毎日小学生新聞』紙上で1995年から始まったリレー式連載で、谷口英久芝田文乃の二氏と私(本名の井上 迅)の3人が担当した。後日、正確に調べるが4年ほどつづいて連載は200回を越えた。路上観察的視点で町を歩いて、面白い物件の写真を撮り、それをまた面白く解説したエッセイを添える。写真と文章、どちらにもウェイトが置かれ、3週間おきにやってくる〆切りはかなりきつかった。それを4年も、しかも日刊の新聞でこなしたと言えば「あの原稿の遅いトビラノが」と、おどろかれる方もあろう。じっさい指定の〆切り日は過ぎて、幾度となく催促の電話をいただいた。まだメールのない時代だったので、郵便速達の「よくあさ10時便」を毎回活用していた。写真もフィルムで撮ったものをプリントし、東京竹橋にある毎日新聞本社の小学生新聞編集部へ送った。

 連載依頼があったのはわたしが大学を卒業する直前で、路上観察学会の創立メンバーで、エッセイイストの林丈二さんからの紹介でだった。しかし、わたしはと言うと、これから郷里に帰って家業を嗣ごうとしていて、もの書き志望でも写真家志望でもなかった。3人のリレー式とはいえ、経験のない者に日刊紙の連載をまかせることが編集部に不安はなかったのだろうか。毎日新聞東京本社の上階にある喫茶店「アラスカ」で編輯会議があったのを覚えている。すこし厳しく忠告された記憶がうっすらとのこる。「ほんとに大丈夫なのかね」くらいのことは言われたのかもしれない。わたしはと言えば「アラスカ」のシロクマの写真があしらわれているマッチを見つけて喜んでいた。
 家業を嗣ぐからときっぱり断ることもせず、このチャンスをものにして筆一本で身を立てていこうという気概などまるでないわたしが「みちくさの達人」の連載を引き受けたのは、やはり「毎日小学生新聞」に書くということに舞いあがっていた。ようするに調子がいいのだ。
 連載が始まり、どうして引き受けたのかと後悔することもあったが、次第に歩くこと、写真を撮ること、書くことの連動したテーマが、考える道筋を教え、結果として文章を磨いていったのではないかと思うときがある。
 
 今日、ここにあげる文章は連載も終盤のほうである。十余年ぶりで読み返すと書いた文章について、ほとんど忘れていた。だが撮った写真のほうは覚えているので面白い。この頃は「みちくさの達人」も書くことが出つくして、毎回なにか書くための素材の工夫が必要だった。でも、あとになってみると、その工夫がなかなか好企画だったりした。