ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

中川六平さん


「おい、ひとつだけ言っとくよ」
と人差し指を立てる六平さん
2010年11月初め頃 @徳正寺


 六平さんのお通夜に向かう前に、六平さんのことを書けるところまで記しておきたい。

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 木曜日の朝、息子を自転車に乗せて保育園へ向かった道々、石神井書林の内堀さんから着信があった。自転車をとめ、ケータイを耳にあてて聞こえてきた声は普段どおりだったと思う。ふつうの声と云うように聞き取ろうとしていたのか。
 一週間前の木曜日に、内堀さんと一緒に武蔵境にある赤十字病院へ、中川六平さんを見舞った。
 8月19日の夕方、だったと思う。内堀さんから「ロクさんが悪いんだ」と連絡があった。窓の向こうに海が見えていた。親しかった画家Kさんの、海に臨むアトリエに妹家族と連れ立って遊びに来ていた。Kさんは昨年秋に他界し、いまアトリエは夫人のS子さんが守っている。
 Kさんも食道癌だった。六平さんもまた同じ病だと聞いて、Kさんがガンの宣告を受けてから送った闘病の時間を考えた。一年二ヶ月ほどだったか。伯父も一昨年、食道にガンを患ってから数ヶ月の闘病だった。いや伯父の場合、病と闘ったと思えない。本人の意思からほとんど治療をほどこさなかったのだから。伯父は放射線を浴びるのがいやだったらしい。
 内堀さんは「ちかぢか東京へ来るのでしょ」とわたしが上京することを知っていて、だったら六平さんに会いに行こうと言った。「ロクは人に会わないと寂しいんだ」と内堀さんは六平さんをときどきロクと呼びすてる。

 相部屋のベッドの脇で、六平さんは立って待っていた。弱々しく床についてるのかと想像していたので、カーテンからヌッと現れて驚いた。痩せたうえに不精ヒゲで病人らしいけど、丸眼鏡の奥のつぶらな目はいつもの六平さんだった。今日から放射線治療が始まるというから落ち着かないのだ。内堀さんは「ロクはほんとうに怖がりなんだよ」と言う。
 向こうに談話室があるから、そっちで話そうと、廊下をスタスタ歩きだすのに私たちがついて行くという塩梅で、あんがい元気そうな様子に緊張が解けていくのがわかった。夏の終わりの西に傾いた日差しが、院内を明るく染めていた。
 声がかすれるのは薬のせいだと言う。でも話は弾んだ。
 内堀さんは六平さんに、見本で届いたばかりの『古本の時間』を進呈した。わたしは、お見舞いにアルコールじゃまずいだろうと持ってきた焙じ茶を差しだすと「それでも酒、持ってくるやつがいるんだよ」と苦笑して言うのだった。
 『古本の時間』の見返しには、六平さんへの謝辞が記されている。さきほど駅前のセルフ喫茶店で、内堀さんから本を見せてもらって、『彷書月刊』の田村治芳さんのことを書いた文に目が留まった。いま内堀さんは、六平さんの病を、田村さんの時と重ねながら考えている。退院後、どれだけ仕事が出来るかは判らないけれど、田村さんの亡くなる前の数年間を思えば、出来ることはたくさんあるはずだと。
 仕事の話も出た。
 「小沢信男さんの本を作ろうと思っててね、装幀はね、ミロコマチコにやってもらう。小沢さん、ミロコマチコなんて知らないでしょ。小沢信男にミロコマチコ、いい本になるぞ、これは」
 六平さんの口からミロコマチコちゃんの名前が飛びだしてびっくりした。

〈未了〉


 夜が明けた。出発の準備があるので、このへんで。続きは帰ってから書くとする。