ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

「ガロ - アックス - 長井勝一」展 長井勝一 没後20年企画

ガロ -
アックス -
長井勝一
  長井勝一 没後20年企画


2016年1月16日(土) - 27日(水)
11:00 - 19:00 (木曜日 -定休/最終日 17:00まで)


メリーゴーランド KYOTO
  〒600-8018 京都市下京区河原町通四条下ル市之町251-2 寿ビル5F
  TEL/FAX:075-352-5408
  MAIL:mgr-kyoto@globe.ocn.ne.jp
  URL:http://www.merry-go-round.co.jp ※メリーゴーランド本店HP内《京都店》案内を参照ください。


 長井勝一(1921-1996年)は、その出版人渡世を敗戦直後の露店商売から踏みだしました。
 赤本漫画、貸本漫画の出版人を経て、62年に青林堂を設立。白土三平の劇画発表の舞台として、64年7月、月刊漫画誌『ガロ』を創刊。『ガロ』の軌跡は《カムイ伝》を柱に、水木しげるつげ義春、忠男、永島慎二を擁し、新人として林静一佐々木マキつりたくにこらが異彩を放ったことは夙に知られています。71年、《カムイ伝》第1部が終了するとともに『ガロ』は第2期を迎え、花輪和一川崎ゆきおますむらひろし蛭子能収杉浦日向子根本敬らの異才たちがオルタナティヴな領野をいっそう拡げました。その衣鉢は現在、青林工藝舎からの『アックス』に引き継がれています。
 来年(2016年)1月5日は、『ガロ』という広場を守った長井勝一の没後20年を迎えます。
 メリーゴーランド京都では、「ガロ - アックス - 長井勝一」展と題し、『ガロ』創刊号から『アックス』の最新号までを一堂に並べ長井勝一の広場の無辺さを実感していただきたいと思います。


記念トーク「ガロ - アックス - 長井勝一の20年


場所:
徳正寺

〒600-8051
京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角にジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。


日時:1月16日(土)13:00(開場:12:30) - 17:00

参加費:2,500円(要予約/定員70名/予約はメリーゴーランド京都
mgr-kyoto@globe.ocn.ne.jp まで。)

タイムテーブル:
13:00 - 13:20 長井勝一20周忌勤行
13:30 - 14:30 南伸坊 - 呉智英
         対談「『ガロ』の時代」
14:40 - 15:40 島田虎之介 - 古泉智浩

         対談「『アックス』の光源」
15:50 - 16:50 南伸坊 - 呉智英 - 島田虎之介 - 古泉智浩
         座談長井勝一の彼方へ」(ゲスト:林静一
17:00 終演


長井勝一略伝(『アイデア No.368』「特集:日本オルタナ精神譜 1970-1994 否定形のブックデザイン」所載)
http://www.seibundo-shinkosha.net/products/detail.php?product_id=4422


青林堂
長井勝一
Nagai Katsuichi 1921–96

 1945年8月15日、郷里塩竈疎開していた長井勝一は、玉音放送で戦争終結を知るや夕方には上京の途についた。翌朝、自転車で東京中を巡り、宮城前広場で人々が茫然自失する一方、浅草の往来は早くも活況を呈しているのを目撃、翌17日には露店の列に加わる。鉄道地図、カレー粉、古雑誌をバラして綴じた改造本と品を代えると、人々は「まんがだ!」と飛びついた。長井の出版人渡世は敗戦直後の露店商売に始まった。
 1921年4月11日、宮城県塩竈に生まれる。4歳の頃、父の破産に伴い一家で東京南千住へ移住。小学校低学年から立川文庫、漫画、大衆小説に親しむ。鉱山で成功を収めた社長の立志伝で山師に憧れ、早稲田工手学校の採鉱冶金部に入学(39年卒)。在学中の37年、昭和鉱業に就職し地図製作を覚え、満洲鉱山に入社すべく39年渡満、10月、新京(現・長春)に入る。41年、航空写真を基に地図を作製する満洲航空写真処に入所。製図には写植文字が使われており、後に長井は、地図と漫画は似ていると語った。45年2月、南京出張の帰路、米軍機の機銃掃射に遭い敗戦を察知、すぐさま同僚とともに内地へ独力で帰還した。
47年、露店商売が下火となるや、特本卸しの店を上野に開業。赤本漫画ブームに乗じて漫画出版を始め利益をあげるも、過労と放蕩の結果、50年暮、結核による大喀血。京都の病院で4年間をごし、退院すると時代は貸本漫画に移っていた。56年、特価本取次の傍ら神保町に日本漫画社の看板を掲げ、翌年夏に邂逅した白土三平の単行本を約1年間に19冊出版。59年、長井、小出英男、夜久勉のチビ・デブ・ノッポと綽名された3人で三洋社を設立。白土三平忍者武芸帳》シリーズは貸本漫画史上のベストセラーとなる。61年末、結核再発、片肺切除。九死に一生を得るが、三洋社は事実上の解散を余儀なくされた。入院中の62年に青林堂を設立。白土劇画の発表舞台として構想した月刊漫画誌『ガロ』を64年7月、創刊。《カムイ伝》を柱に水木しげるつげ義春、忠男、永島慎二を擁し、新人として林静一佐々木マキつりたくにこらが異彩を放った。71年、《カムイ伝》第1部が終了するとともに『ガロ』は第2期を迎え、花輪和一川崎ゆきおますむらひろし蛭子能収杉浦日向子根本敬といった異才たちがオルタナティヴな領野をいっそう拡げた。91年、青林堂社長を退くまで、長井勝一は『ガロ』という広場を守った。96年1月5日、永眠。