ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

中尾ハジメ×黒川創レクチャー&トーク

 いま手許に原本がないので、引用は書きとめたメモをたよりにするが、中尾ハジメさんの『原子力の腹の中で』編集グループSURE/2011年)の著者あとがきの結びにこうあった。

放射能の降ってしまった、ふるさとを、あきらめてしまわずに、働きつづける人たちのためにも。

 この本を通して中尾さんは絶望しきっていた。その絶望は深すぎて、どういうわけか読んでいて声もなく笑ったくだりが幾箇所かあった気がする。絶望が深すぎて笑える。この感じ、誰だったろうと頭をめぐらして机のうえにたまたま置かれていた本があった。ああ、なるほど彼か、太宰治『東京八景』。

 『原子力の腹の中で』は中尾さんを囲んで座談の形をとっている。収録は5月、震災から2ヶ月ほど経って、東電の格納容器でのメルトダウンを認める公式発表はまだ発表されていなかった。誰も先が見通せないなか、座談は十数時間におよんだ。みんな疲れ切って、座談に参加していた加藤典洋さん、山田慶児さんらは帰ったのだろう。中尾さんは朝までその場におられる様子だった。

 どうやら朝になっても録音機のスイッチが入っていた。わたしなら少々うんざりするところだ。テープは廻りつづけ、長い沈黙が流れたり、茶碗がコトリと置く音が拾われたりして、昨日の激論(?)の緊張はなにもない。活字には反映されにくい、ものうい朝の気配がこの本の最終章には感じられた。「もう話すことないよ」(との発言はないが)と、床にごろんとした中尾さんの、それまで垂直に保っていた絶望が傾いで、地面にぽたり、ぽたりしずくを落とす音がかろうじて聞こえてくる。それは苦い夜をくぐった朝だからかもしれない。録音機は、深く絶望した人が、浅い眠りについた、微かな寝息をひろって伝えようとしている。
 この本の読んで感じたある種類の安堵、結びの言葉がよこすメッセージは、中尾さんや、中尾さんが思い到す人たちが疲れ果てて横たわる床に耳をあてれば、様々な雑音のなかに聞きわけられる、彼等の希望の心音が響いているからだろう。

 中尾さんと黒川創さんの「レクチャー&トーク」があるようだ。わたしは行けないので、ここに紹介をしておく。

編集グルーブSURE