ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

しかし、わたしは思う

 きのうは沖縄慰霊の日であった。
 きのう昼飯に入った、町の中華店のカウンター上に据えられたテレビが、平和祈念公園糸満市)での沖縄全戦没者追悼式の中継をしていた。きのう6月23日が、沖縄戦の旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日だと知った。沖縄の住人の4人に1人が亡くなり、約20数万人の犠牲者があったという。71年目を迎えるその日は、うるま市での元米海兵隊員による、20歳の女性のレイプ殺人事件が、集う人たちの記憶に生々しく残るなかでの式典だったことは、解説を待つまでもなく、TVカメラがとらえる人々の面持ちから伝わった。
 最初に翁長雄志沖縄県知事の平和宣言があった。国に対する日米地位協定の抜本的な見直し、普天間飛行場辺野古移設を「これを唯一の解決策とする考えは、到底許容できるものではありません」と述べたところで、会場から拍手がわいた。
 「かつて、アジアや日本との交易で活躍した先人たちの精神を受け継ぎ、アジア・太平洋地域と日本の架け橋となり、人的、文化的、経済的交流を積極的に行うよう、今後とも一層努めてまいります。」という言葉は、沖縄の主体性を持った行動に道を開く決意がうかがえた。式典に参列する安倍晋三内閣総理大臣は、宣言文をどのように聞いたのだろう。テレビは首相のほとんど表情を変えない横顔を映すだけだった。
 翁長知事の、淡々として重みのある平和宣言が終わると、小学6年生の少女が詩を朗読した。「ミーンミーン」という蝉の声のオノマトペから始まる詩は、わたしがラーメンを啜るのを中断するほど清冽な印象があった。追悼式の営まれる平和祈念公園は、すでに蝉の鳴き声が満ちて、「戦没者たちの魂」が「蝉にやどりついているのだろうか」と、詩は、園内の「平和の礎(いしじ)」に刻まれた24万人以上の沖縄戦での犠牲者の名と呼びあうようであった。少女の祖父は戦争で左腕を負傷して、彼女は祖父から戦争のことを聞くことができた。「祖父の心の中では/戦争がまだ続いているのか」、今は亡き祖父へ彼女は問いかける。蝉の鳴き声を「空のかなたで聞いているのか/死者の魂のように思っているのだろうか」と。


しかし、わたしは思う


 ここでこう、少女は語気を強めた。いまわたしは、彼女の詩を、その全文を載せた、きのう(6/23)の夕刊(『毎日新聞』)を頼りに再現してみるが、わたしがテレビ中継を見て、鮮明に記憶したのは「ミーンミーン」と「しかし私は思う」の2フレーズのみである。後者は、とくに耳の底にのこった。
 「しかし私は思う/戦没者の悲しみを鳴き叫ぶ蝉の声ではないと/平和を願い鳴き続けている蝉の声だと」と詩は続いている。そこで初めて、この詩のタイトルが、オキナワ語で「平和(ふいーわ)ぬ世界(しけー)どぅ大切(てーしち)」(平和な世界が大事)だったことに思いあたる。
 もし詩を活字で読むだけでは、「しかし私は思う」の一行が、この詩の力点(作用点)であるとは気づかない。また活字で読むと、蝉の鳴き声が「戦没者の悲しみ」ではなく「平和の願い」であると説明しているだけで、朗読を耳で聞いたほど、鮮烈にわたしを感動させなかっただろう。
 わたしは思う。「戦没者の悲しみ」も「米軍基地があるがゆえの苦しみも」、「わたし」という主体がなければ「思う」ことが出来ない。「わたし」という架け橋があって「平和の願い」が他者にまで届くのだと。
 彼女の声は、そのことを教えてくれた。

 これ以上に書くことはないのだが、詩の朗読のあとの安倍首相のスピーチは当たり障りのない内容なだけ、空疎であった。そして、よく聞けば、沖縄にはイニシアチブを取らせず、国がコントロールしたい思惑が見え透いてくる。
「アジアとの玄関口に位置し、技術革新の新たな拠点でもある沖縄は、その大いなる優位性と、限りない潜在力を存分に活かし、現在、飛躍的な発展を遂げつつあります。」という一節は、今後も「米国と日本の架け橋」として沖縄を政治、政策に利用することはあっても、けっして沖縄が主導しての「アジア・太平洋地域と日本の架け橋」となることには程遠い言い回しに聞こえる。
 そして、当たり障りのない内容に終始するならまだしも、耳を疑ったのは、最後に「私たちは、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のため、沖縄の振興に全力で取り組み、明るい未来を切り拓いてまいります。そのことが、御霊にお応えすることになる、私はそのことを確信しております。」と述べて、「御霊(みたま)」という言葉を二度くり返している。
 「御霊(みたま)」という言葉は、24万人以上の沖縄戦での犠牲者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を前に、死者の魂から、ふたたび名前を奪いとる暴言である。





平和ぬ世界どぅ大切


金武(きん)町立金武小学校6年


仲間里咲


「ミーンミーン」


今年も蝉(せみ)の鳴く季節が来た


夏の蝉の鳴き声は


戦没者たちの魂のように


悲しみを訴えているということを


耳にしたような気がする


戦争で帰らぬ人となった人の魂が


蝉にやどりついているのだろうか


「ミーンミーン」


今年も鳴き続けることだろう




「おじぃどうしたの?」


左うでをおさえる祖父に問う


祖父の視線を追う私


テレビでは、戦争の映像が流れている


しばらくの沈黙のあと


祖父が重たい口を開いた


「おじぃは海軍にいたんだよ」


おどろく私をよそに


「空からの弾が左うでに当たってしまったんだよ」


ひとりごとのようにつぶやく祖父の姿を


今でも覚えている


戦争のことを思い出すと痛むらしい


ズキンズキンと…


祖父の心の中では


戦争がまだ続いているのか




今は亡き祖父


この蝉の鳴き声を


空のかなたで聞いているのか


死者の魂のように思っているのだろうか


しかし私は思う


戦没者の悲しみを鳴き叫ぶ蝉の声ではないと


平和(ふぃーわ)を願い鳴き続けている蝉の声だと


大きな空に向かって飛び


平和(ふぃーわ)の素晴らしさ尊さを


私達に知らせているのだと


人は空に手をのばし


希望を込めて平和の願いを蝉とともに叫ぼう


「ミーンミーン」


「平和(ふぃーわ)ぬ世界(しけー)どぅ大切(てーしち)」