6月19日 Buddha Cafe
ブッダ・カフェ 第二回のお知らせ
6月19日(日)
13:00〜17:00
3.11から3ヶ月が経ちました。
ひとりひとり、それぞれの3ヶ月の記憶は、記録しようにももはや置き換える言葉のないものとして記憶されてきたのだと思います。
言葉を失っての3ヶ月、わたしたちは眼を開いて事態を見てきました。声にならない声に耳を澄ませようとしました。なにが見え、なにが聞こえたのか。なにも見ず、耳をふさいでしまったのか。
先月5月1日、ブッダ・カフェの始まりの会を開き、小さな集いを持ちました。初めて会う人たち(そのなかには福島から西日本に移住を決めてやってきた母子、避難者支援に身をなげうって活動に取り組んでいる方)、震災をきっかけに親交を深めた人たち、わたしの新しい友人、古い友人が、その日「ブッダ・カフェ」という名の集いがあると聞きつけて、やってきてくださいました。
2時間の予定が5時間近くなり、尽きることのない会話が刻限で終わったとき、どこか放心したような心地よさがのこりました。
放心。このあいだ私は「放心」という言葉を次のような一文のなかに記したのでした。
「不意に舞い起こる感情は、煙草の火を点じるほどに同時多発的でありながら、各々の所在なき日常にいつもかき消されて、誰も放心などしなくなって久しい。」
もちろん喪失による放心がある。
3.11以来、わたしたちは放心し、いまなお立ちつくしています。
むかし、人は信仰を持ち、信心ゆえに放心することをよく知っていたのではないでしょうか。だからと言って信仰を奨めているわけではありません。ただひゅっと放心の状態に移れる術を、日々を生きるなか身につけていた。
「ひゅっと放心の状態」をつくり得るものとして音楽がある。歌い奏でるほうも、それを聴く側も一種の放心によって交感している。放心というか放電。
僧侶たるわたしにとってはお経をあげるとき、言い得ぬような放心がときとして訪れます。
「声明」とは、よくいった言葉です。お経をあげていると、ときどき身体が消えて声だけになるような数瞬がある。声のみが明るさのなかに照らされている。だから「声明」と言うのではないか、と。
「声明」を調べてみると
1、インドの五明の一。音韻・文法・訓詁を研究する学問。
2、日本で、法会の際、僧によって唱えられる声学。サンスクリット語音写や漢文のほか、和讚など日本語のものもある。平安時代に発達し、以後各宗派で作られ、音楽や語りに大きな影響を与えた。梵唄。
「声明」の「明」は「明るさ」ではなく、「明かす」という意味でしたが、声明を唱えるとき、私の感じる声のみの明るさに変わりはありません。
さて6月19日のブッダ・カフェはなにをしようか、ずっと考えあぐねてきました。
けっきょく「なにをしようか」と考えていたのではなにもみつからない。
たとえば声のみの明るさのなかに身をたゆたわせるだけでもいいように思える。
禅宗に「放下(ほうげ)」という「捨てること。あらゆる迷いや執着を捨て去ること」を意味する言葉があり、中世には「放下僧」と言って僧形で「品玉、輪鼓など散楽の芸」や、「小切子を打ちつつ放下歌を歌う」遊芸人がいたそうです。わたしの想う「放心」は、中世の遊芸人が演じた「放下」に通じあうのではないかと考えています。
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ
(子供の遊ぶ声を聴いていると、人間というものは遊んだり、ふざけたりするために生まれてきたかのように思えてきて、この自分の身も動きだすようだ)
有名な『梁塵秘抄』の今様歌(中世の庶民のあいだで歌われた)ですが、わたしは遊女が詠んだ歌だと教えられた記憶があります。でもじつはこの歌、僧侶が詠んだものではないかと教える本を読みました。鈴木貞美『日本語の「常識」を問う』(平凡社新書/2011.5)です。遊女が歌ったのでは上の二句と下の二句とがうまくつながらないけれど、これを聖の歌として読んだほうが納得できるというのが、鈴木さんの解説で、五味文彦『梁塵秘抄のうたと絵』(文春新書/2002)の釈に拠るそうです。聖は「旅などして民間に分け入る僧侶」のこと。
次回のブッダ・カフェが、この「遊びをせんとや生れけむ」の今様歌に聞こえるような「声」に満ちればと願っています。声に明るさの射すところとしての道場。
友人のミュージシャンにも声をかけて、音で遊ぶ試みも準備していますので、子どもたちがたくさん集まってほしいです。
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