ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

ブッダ・カフェ 第108回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第108回


4月25日(土)
13:00〜16:30
場所:めいめいのいる場所で

 

解脱(ケダチ/げだつ)ノ光輪(クワウリン/こうりん) キハモナシ

光触(クワウソク/こうそく)カフ(む)ル モノハ ミナ

有無(ウム)ヲハナルト ノへ(べ)タマフ

平等覚(ヒヤウトウカク/びょうどうかく)ニ 帰命(クヰミヤウ/きみょう)セヨ

浄土和讃 讃南無阿弥陀偈和讃 五」

 

 われわれ生死の懊悩は、無辺の光にひとたび触れれば、たちまちに氷解する。分別をつけて有無を測ろうなどとする心根からは、いっさい離れてしまおうと仰ってるのだ。平等の慈悲ですべてを救う阿弥陀仏をひとえに頼りなさい。(拙訳)

 

 
 4月25日(土)のブッダ・カフェは、いまここにいるめいめいの場所での開催とします。わたし、扉野はいつもの部屋でみなさんと一緒にいるつもりで過ごします。

 来月も集うことが難しい状況であれば、ブッダカフェのZOOMによるオンライン開催も考えております。

 なお、4月25日は、14:00〜16:00の時間帯で、メリーゴーランド京都-ミシマ社企画による、藤原辰史さんのオンライン講演「パンデミックを生きる指針 ー歴史研究のアプローチ」の配信があります。

 藤原辰史さんは、このコロナ禍に動揺する人間社会をもういちど見つめ直して、人類にとって未来はどうあるべきか、身近な実現可能なところから考える指針、つまり見通しの効かない森の中でひとつの方向を示してくださると思います。

 徳正寺に足を運んだつもりで、藤原さんの話を聞いてみるのも良いかもしれません。有料です。

 


緊急オンライントークイベント
パンデミックを生きる指針
ー歴史研究のアプローチー


藤原辰史(ふじはらたつし/人文科学研究所准教授)

三島邦弘(みしまくにひろ/ミシマ社代表)

鈴木 潤(すずきじゅん/メリーゴーランド京都店長)

4月25日(土) 14:00 - 16:00

100年前に起こったスペイン風邪の歴史を掘り起こしながら、今後どういう事態が起こりうるか、その上で、今後さらに明らかにされるであろう(もともと存在していた)社会の卑しさや矛盾を二度と繰り返さなきように、コロナ後の仕組みの組み直しについて、皆さんと考えていければと思います。

 

オンライン配信(ZOOMによる配信)チケット(定員50名)

●オンライン配信チケットのみ 3,300円 税込
●本つき配信チケット(ミシマ社の雑誌『ちゃぶ台Vol.5』1冊つき 4,510円税込)
●本つき配信チケット(藤原辰史『分解の哲学』〈署名入〉1冊つき 5,390円税込)

※ 「本つき配信チケット」はチケット代が500円引きになっています!
※ オンライン配信をご覧いただくには、インターネット環境が必要です。
※ チケットをご購入の方に、配信URLをお送りいたします。
※ やむを得ない事情によりライブ配信ができなかった場合、ご返金いたします。


ミシマ社HP (https://mishimasha.com/mishinews/chabudai05/001799.html)からご購入いただけます。

オンライン配信イベント(zoom)の参加方法についてはこちらをご覧ください。

14:00〜15:00 藤原辰史
15:05〜16:00 鼎談(藤原辰史×三島邦弘×鈴木 潤)


藤原辰史(ふじはらたつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツ有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』ほか著書多数。

 

 

妙好人のフィールド 大月健さんのこと

 大月健さんが他界して六年が経たんとする。年回で数えると七回忌。

 家の辻潤の本が置かれるところに行くと、大月さんの癖のある懐かしい筆跡の手紙やメモが本の間に挟まれていて、立ち止まりとりだして眺める。

 誰だってそうなのだが、大月さんのような人には二度と会えないと強く思う。大月さんは唯一の人、唯一者だった。

 

 去年の三月の終わり、藤原辰史さんと話す機会があった。藤原さんが大月さんのことをとても慕っていたのだと、人づてに聞いていたので、開口一番大月さんのことを尋ねた。そうしたら、「ぼく、スピリッツの試合に出たことがあるんですよ」とおっしゃる。おどろいた。大月さんは京大農学部図書室の司書で、藤原さんはおそらく貸出カウンター越しに大月さんと出会ったのだろう。大月さんは草野球チームのピッチャーで、試合が近づくと図書室に来る学生を摑まえて、「◯◯くん、野球やらんか」とスカウトした。藤原さんもきっとそうだ。だが、藤原さんは野球はまったくできないと言う。おそらく九人揃わず、「立ってるだけでええから、大丈夫、大丈夫」と大月さんは藤原さんにお願いしたにちがいない。

 大月さんを好きな人は、大月さんの頼みごとを断わることができない。そういう人だった。反対に大月さんに無理なお願い(たとえば草野球の月例ミーティングに行ってもらったり、酒場に誘ったり)をしても、「あ、ええよぉ」と、われわれはすぐ大月さんに甘えてしまう。

 

 三年程前、『屋上野球』というリトルマガジンにコラムを頼まれた。お題は「野球と仏教」。わたしが僧侶だからだった。しかし、大月さんのことを書くことは決めていた。大月さんのことを書いておきたい、それもマウンド上の大月さんのことを書きたいと思った。

 

 このごろ藤原辰史さんの文章に触れると、その向こうに大月さんを思う。

 

 

妙好人のフィールド

大月健さんのこと

 

 草野球を二十年続けている。それだけ続けてもいれば、チームでは一目を置かれるプレーヤーなのかもしれないが、ライトの8番を二十年、不動のライパチくん。なにしろ草野球チームに入ってから野球を始めた。それまでの野球歴はないに等しい。もともと運動にうとく、キャッチボールさえ覚束ないから、当時二十代半ばにして、上達する伸びしろがほとんどなかった。にもかかわらず、二十年も続けられたのはなぜだろうか。

 二十年をふり返ると、野球のできなかったわたしを草野球に引っぱりこんだ二人のチームメイトが、この七年のうちに他界している。チームメイトと言っても、親父ほど年の差があった。そのひとり、大月健さんについて語りたい。

 大月さんはひょろっとして、日に焼けた顔にヒゲを蓄えて、初めて会ったときは、笑うとヒゲの間からヤニに汚れた乱杭歯がのぞいた。冬でも上着をまとわず長袖シャツだけで、年から年ぢゅう素足に雪駄。いつも天然パーマの髪をなびかせ、京大のキャンバスを歩いていた。農学部図書館の司書を務めるかたわら、若き日から辻潤に私淑し、個人誌『唯一者』をコツコツと編集、刊行した。「唯一者」とは、マックス・スティルナーの『唯一者とその所有』に由来する。「唯一者」という在り方は、大月さんを捉えて離さない思想だった。「唯一者」とは、自分自身を所有する「唯一無二の人間」を意味する。究極のエゴイズムとも言われる。

 大月さんにとって、唯一者と、九人でプレイする野球というは、どんな関係にあったのだろうか。

 大月さんはピッチャーだった。どくとくのフォームから繰りだす投球は、人柄のまま大らかで、ブンブン振り回す打者からは、気持ちがいいまでにストライクが取れた。

 大月さんのすごいところは、仏教で言う三毒、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち/欲・怒り・愚痴)を感じさせない。共にフィールドでプレイしていると、それがよくわかる。わたしが凡フライを落球しても、マウンドから「ええよ、ええよ」と手を振ってくれるのだ。

 浄土の仏者に妙好人と呼ばれる人がいる。それは、市井に生きた、動かぬ信心をもった無名の篤信家、聖人である。妙好人の言動は、周囲の人を揺さぶって信心へと導いた。

 大月さんは妙好人だったのかもしれない。

 大月さんの言行を採って、大月さんを妙好人に祀りあげることは可能だろう。しかし、大月さんのことを描こうとして、描けば描くほど、大月さんの言動は特別なものになり、大月さんを聖人化して、わたしが知っている大月さんの実像から離れてしまう。

 「共にフィールドでプレイしていると、それがよくわかる」と先ほど書いた。妙好人が周囲の人を揺さぶったのは、同じフィールトに立って、その人と面と向かって何かを感じたからである。そのフィールドを描かなければ、妙好人の何たるかは知れないのではないか。歴史の上では、妙好人が「動かぬ信念」をもったと言うが、妙好人が生きたフィールドでは、その信念は、もっと流動的だった。

 こう考えてくると、大月さんが胸にいだいた「唯一者」という唯一無二の「動かぬ信念」は、フィールドを転がるボールとしてイメージされてくる。事実、大月さんは、ピッチャーとしてボールを手放さなければ、野球は始まらなかった。

 わたしは、唯一無二のわたしを取り囲むフィールドに、転々ところがり続ける大月さんが投げた球を、今もって追い続けている。

 

(『屋上野球vol.3』2017年9月)

コロナに思う

 書き始めたメールが下書トレイに入ったまま一ヶ月以上、今日こそと思って読み直してみると、十日ほど前に書いたことがもうフェーズにあてはまらなくなっており、いままで自分の感じて来た時間と世の中の時間、というより人間が社会生活を送るため築いてきた時間の観念(そこから歴史的時間も観測される)が、生物(生成)の時間や地球(宇宙)の時間の流れに呑まれてしまったような状況が生じているのだろうと思います。

 以下は、この1ヶ月ほどの間に考えたことが地層のようになった文章なので、一貫性がないようですが、それを承知でお読みください。

 

 コロナ感染症の拡大で文明社会がどんどんと侵食されていくようで、人類が進歩し、この先も発展に向かおうとする道はもはや閉ざされつつあるように見えます(安倍晋三はこの後に及んで経済のV字回復など言っていますが空虚)。いや、誰もがうすうすそうなるとは感じてはいたのでしょう。でも、そのことに改めて人が気がつくのであれば、コロナウィルスとの遭遇を奇貨にして、いずれこの転換期を乗り越えて人類の叡智に結ばれるのかもしれないし、あるいはそれを正視できず、諍いと分断を続けるのであれば、国は、いや人類は早晩滅亡するだろうシナリオも見えて来ました。事態の推移から目を逸らしてはならないと切実に考える日々ですが、コロナのニュースに触れ続けているというのも滅入ってしまいます。

 

 親鸞が云う「悪を転じて徳となす正智(しょうち)」とは、仏に有って、われわれ人は有(も)ち得ないものではあるけれど、この悪玉ウィルスによって、私たちは大事な選択を迫られているように直観します。そうはいえ、それは本当に我々の手による政治的選択、あるいは人類の歴史に相沿う選択という類で収まることだろうか。コロナの拡大を見ていると、われわれはすでに選択する機会を喪っているようにも思えるのです。自業自得。それでも、その選択が、我々の届かぬところで仏の正智に委ねられているのだとすれば(それはある意味で「選択する機会を喪っている」ことと表裏一体)、どうにも仕方ないのだと気持ちが鎮まっても来ます。目の前の家族や友人、何より子どもの将来を思うと暗澹としてしまうのですが、顔をあげて前方を凝視めることで家族を守る心構えが大切だし、そうしないと瞬く間に命を落とすように感じます。

 

 鶴見俊輔氏が、柳宗悦について書いた文の中で、南無阿弥陀仏が「(他力により)人間がすくわれていることを言いあらわす」としていました。これは、蓮如の「御文」にある、「南無阿弥陀仏の六字のすがたは、すなはちわれら一切衆生の平等にたすかりつるすがた」という一節の現代語訳ではないかと気がつきました(鶴見さんの言い回しは柳宗悦から得たのでしょうか)。

 

 御文は応仁の乱に始まる乱世に生まれた信仰の言葉です。今のコロナ禍は、この緊急事態宣言をもって有事の状態に一歩踏み入れたように感じます。その一歩を踏ませたのは政治であり、その結果人命には優劣があることが如実に示されました。近代は人間の自由・平等を前提に進歩してきましたが、その理念の実践では前進と後退を繰り返し、少し前進しても必ず大きく引き戻されてしまう仕組みになっているようです。そう考えると、近代には、それが実現不能とさせる、さらに大きな仕組みがあって、近代とはその仕組みの上で縮小再生産を繰り返しているのではないでしょうか。

 

 コロナウィルスは平等に我々を扱います。この平等は、近代が前提とする平等と、それはどう違うのでしょう。

 

 先月17日、彼岸の入りの日に予定していました住職継職の法要は延期しました。ご報告が遅くなり申し訳ありません。5月下旬頃に改めてと予定していたのですが、現状を考えるとそれも難しいようです。彼岸会法要は、仏前にあまねく人たちと朋にあるのが住持の勤めでもあるため、予定どおり厳修したのですが、そのとき御門徒を前に法話として話したことがあります。

 

 以下、法話の文案を加筆修正したものです。

 

解脱(ケダチ/げだつ)ノ光輪(クワウリン/こうりん) キハモナシ

光触(クワウソク/こうそく)カフ(む)ル モノハ ミナ

有無(ウム)ヲハナルト ノへ(べ)タマフ

平等覚(ヒヤウトウカク/びょうどうかく)ニ 帰命(クヰミヤウ/きみょう)セヨ

親鸞浄土和讃 讃南無阿弥陀偈和讃 五」

 

われわれ生死の懊悩は、無辺の光にひとたび触れれば、たちまちに氷解する。分別をつけて有無を測ろうなどとする心根からは、いっさい離れてしまおうと仰ってるのだ。平等の慈悲ですべてを救う阿弥陀仏をひとえに頼りなさい。(拙訳)

 

 コロナはラテン語で王冠を意味するといいます。英語のクラウン(王冠)はコロナから来ました。空に薄い雲がかかり、太陽の周縁に色づいた青白い光の円盤が見える光学現象を光冠といい、これもコロナと称するそうです。また皆既日食を観測すると、太陽を覆った月の外周に真珠色の淡い光が漏れて見えます。これは太陽の最外層の熾(も)え盛る大気で、コロナと言えば太陽コロナを思い浮かべる方も多いでしょう。コロナウィルスがなぜコロナと呼ばれるかは、電子顕微鏡で観察したウィルスの外観が、太陽コロナを思わせる表面突起の縁をもつことに由来するのです。

 コロナが、この度は肺炎を誘発する悪玉ウィルスとして人間社会を襲ったため、いまやコロナと聞くだけで恐れおののくようになりました。その上、見えないウィルスに色をつけて、誰かがコホンと咳をしただけで白い眼で見るような(見られるような)、過剰なまでの反応が加速しています。どうも人は、すぐ分別をつけたがる性(さが)からは逃れられないようです。この悪玉に対し、どうしてコロナという善玉のような名が与えられたのか。

 さて、最初にあげた親鸞聖人の和讃に、「解脱の光輪きはもなし」と始まるよく知られた一首があります。この「光輪」という言葉、その音といい意味といい「コロナ」と読めないでしょうか。このように煩悩に熾(も)え盛るわれわれを、阿弥陀仏おひとり憐れんで、わが名を称えるものは、ただちに浄土へ、すべて平等に迎えとろうという誓願(本願)をお立てになっておいでだ。阿弥陀仏から発する光輪(コロナ)に触れるものはみな、おのれの分別をつける心根から苦しみが生じ来ることを思い知るのです。

 ただただ念仏すること。すなわち他力、人間がすくわれていることを言いあらわす「南無阿弥陀仏」に身をゆだねることにより、われわれは救われる。

 

 コロナウィルスは平等に我々を扱います。この平等は、生物(生成)の時間や地球(宇宙)の時間を自然と受け入れていた近代以前、すなわち中世にまで我々を引き戻して、人類普遍の平等を教えてくれるのではないでしょうか。

 

 南無阿弥陀仏が私の中で称えられていると、これほどまで感じたことはない日々です。

人生の〆切

 三年前(2017年)の夏の終わり、北朝鮮がミサイルの実験を繰り返し、Jアラートなるものが喧しく発令されていたころ、『現代詩手帖』に隔月で連載していた「生存のための書物」に書いた文章を読み直して、そのとき抱いた重苦しい感慨がよみがえってきた。今ここで書いたことが、ますます煮詰まってきていると思う。つまり、生きている。これを書いている。

 

生存のための書物 5

人生の〆切

──大槻文彦言海

 

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 地球上のあらゆるところで、あらゆる人々がいろんなことをやっている今の今、ぼくはこうしてここにいる。つまり、生きている。これを書いている。

長谷川四郎「古本屋」

 

 

 

 

 もしかすると、人の数だけ、「出版されなかった本」があるのかもしれない。そう思うと、なにか空怖ろしくなる。

 「ぼく」の仕事は、蒙古語学者の辞書編纂の手伝いで、カードに走り書きされた、読みにくい字を原稿用紙に清書する筆耕の仕事であった。

 

 ぼくは思い出す、……出版されなかった本がある。それはおびただしい数にのぼるだろう。そのなかに蒙和辞典というのがある。千五百枚からの稿本であった。その原稿もそれを編さんした人も戦災で焼けてしまった。ただ、その一部を清書した手だけが生きのこっている……

長谷川四郎「古本屋」

(『長谷川四郎作品集第二巻』〈晶文社、一九六六年〉)

 

 

 長谷川四郎の「古本屋」は、「戦争前のことはもうよくわからなくなってしまった」と始まる。無名者の手記ともよめるこの短編は、戦後シベリア抑留から帰還した主人公が、ひょんなことから手に入れたバラックで古本屋を営んでいる。客のいない店の帳場に座って、「ぼく」は、戦争中の「ぼくだけが知っているということ」をノートに綴っている。これが、この手記を書かせる、彼の唯一の動機であった。

 さいきん、わたしより十年先を歩く人から「人生の〆切を想定しないとダメだよ」と言われた。そのときの胸がつかえた気持ちを、わたしは次のようにツイートした。「私がナマクラだから心配してくれたのだけど、十年先にどんな景色が待ってるかわからないし、私に「人生の〆切」という考えが浮かんでこない。誰にも死は確実だが、死の前に〆切を持てというのは負担が大きい。判るけど胸苦しい」(@tobiranorabbit/13:39 - 2017.8.22)、「いま目の前のことで精一杯だし、いまやってる仕事が人生の〆切という覚悟である。先のことはわからないのだから、死の時点から〆切を決めるのではなく、生の最中から自分の身体能力を測って〆切を作ればいい。しかし、往々にして〆切は向こうから決められてしまう」(13:51 - 2017.8.22)

 ツイッターというのは、「ぼくだけが知っているということ」を、その場で書いて││「その場」が大事││、誰かに読んでもらって、思い(疑い)を共有したいだけだ。「出版」を前提にしたツイートなどあるのだろうか。あるのかもしれないが、こうやって自ツイートを引用することのおぞましさ。いやまて、「出版されなかった本」なるものは、いまやタイムライン上の無数のつぶやきの集積として世の中を流れているのかもしれない。

 道なかばで倒れた蒙古語の先生は、人生の〆切に間に合わなかったというべきか、わたしにはわからない。小説の中で、『蒙和辞典』の編纂は先生の個人事業のように描かれているが、筆耕による報酬は悪くなかった。おそらく国家事業として援助されていたのだろう。日本が満蒙に侵略の手を伸ばしていた時代、その侵略地の言語を知る必要は、軍部として急務だったはずだ。古本屋に『蒙古語大辞典』という大部の書籍が持ち込まれるが、その書名を検索すると、同名の辞典が昭和八(一九三三)年、陸軍省編纂により刊行(偕行社)されていたと知れる。蒙古語の先生は、国から辞書編纂の要請を受け、お国の戦争に協力した。もしくは、『蒙和辞典』は彼の宿願で、その仕事が、国によって保障されるのであれば願ったり叶ったりだと、国家事業に加担したのかもしれない。だが、いずれにせよ彼は、国による戦争で命を落とした。人生の〆切が、国家によって握られてしまうことほどの悲劇、悲喜劇はない。

 辞書編纂が、軍事と関わる国家事業に数えられていたことは、わたしに、わが国で最初の近代国語辞書である『言海(明治二四〈一八九一〉年)が、文部省からの要請で作られた国家事業だったことを想起させる。にもかかわらず『言海』は、編纂者大槻文彦が、完成までに十七年もの時間をかけた、一大個人事業でもあった。

 近代国語辞書を持つことが、民衆に国家意識、民族意識を芽生えさせることにつながり、『言海』が完成した明治二十年代前半は、 大日本帝国憲法が発布され(明治二二〈一八八九〉年)帝国議会が開かれる(明治二三年)など、当時不平等条約に喘いでいた明治政府が、欧米列強と対等に肩を並べるべく近代国家を目指し、日本という国の形が世人の中にようやく浸透しようとしていた時代であった。そうしたひとつの目的に、政治家も学者も経済人も操觚者も、「同胞一体なる公儀感覚」(大槻文彦『広日本文典』序論)をもって邁進していた。

 近代国語辞書の完成が、国語の基礎を打ち立て、国語を統一し、引いては一国の独立がかかっているという思いが、そのような大事業を、一個人の手で成し遂げさせた。ここには形を作りだしたばかりの国家が、〆切をもうけず、個人にすべてを委ねるという、国家と個人を結ぶ、じつに大らかな身体感覚が息づいている。しかし、同時に個人も国家も、つねに死と隣り合わせという意識が、彼らに否が応でも人生の〆切を想定させただろう。

 文彦の仕事が終盤に入り、「ろ」にさしかかった頃、生まれて一年にならぬ次女の死があり、妻の死があった。

 

ろ-めい(名)|露命| ツユノイノチ。ハカナキ命。

言海縮刷』(一九二一年第四五五版、吉川弘文館

 

 

 この語には大槻文彦の「ぼくだけが知っているということ」が記しとめられている。そこには「手」だけが生きのこっている。「書く手」があった。書いている。生きている。つまり、人生の〆切が一冊の本に生きられている。

 

(『現代詩手帖』2017年10月号)

 

 

ブッダ・カフェ 第107回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第107回

 

解脱(ケダチ/げだつ)ノ光輪(クワウリン/こうりん) キハモナシ

光触(クワウソク/こうそく)カフ(む)ル モノハ ミナ

有無(ウム)ヲハナルト ノへ(べ)タマフ

平等覚(ヒヤウトウカク/びょうどうかく)ニ 帰命(クヰミヤウ/きみょう)セヨ

浄土和讃 讃南無阿弥陀偈和讃 五」

 

 われわれ生死の懊悩は、無辺の光にひとたび触れれば、たちまちに氷解する。分別をつけて有無を測ろうなどとする心根からは、いっさい離れてしまおうと仰ってるのだ。平等の慈悲ですべてを救う阿弥陀仏をひとえに頼りなさい。(拙訳)

 

 コロナはラテン語で王冠を意味するといいます。英語のクラウン(王冠)はコロナから来ました。空に薄い雲がかかり、太陽の周縁に色づいた青白い光の円盤が見える光学現象を光冠といい、これもコロナと称するそうです。また皆既日食を観測すると、太陽を覆った月の外周に真珠色の淡い光が漏れて見えます。これは太陽の最外層の熾(も)え盛る大気で、コロナと言えば太陽コロナを思い浮かべる方も多いでしょう。コロナウィルスがなぜコロナと呼ばれるかは、電子顕微鏡で観察したウィルスの外観が、太陽コロナを思わせる表面突起の縁をもつことに由来するのです。

 コロナがこの度は肺炎を誘発する悪玉ウィルスとして人間社会を襲ったため、いまやコロナと聞くだけで恐れおののくようになりました。その上、見えないウィルスに色をつけて、誰かがコホンと咳をしただけで白い眼で見るような(見られるような)、過剰なまでの反応が加速しています。どうも人は、すぐ分別をつけたがる性(さが)からは逃れられないようです。この悪玉に対し、どうしてコロナという善玉のような名が与えられたのか。

 さて、最初にあげた親鸞聖人の和讃に、「解脱の光輪きはもなし」と始まるよく知られた一首があります。この「光輪」という言葉、その音といい意味といい「コロナ」と読めないでしょうか。このように煩悩に熾え盛るわれわれを、阿弥陀仏おひとり憐れんで、わが名を称えるものは、ただちに浄土へ、すべて平等に迎えとろうという誓願(本願)をお立てになっておいでだ。阿弥陀仏から発する光輪(コロナ)に触れるものはみな、おのれの分別をつける心根から苦しみが生じ来ることを思い知るのです。

 ただただ念仏すること。すなわち他力、人間がすくわれていることを言いあらわす「南無阿弥陀仏」に身をゆだねることにより、われわれは救われる。

 

 先日、彼岸会に際して御門徒さんを前に話した法話の下書きです。


明日3月25日(水)、ブッダ・カフェを開催します。


3月25日(水)
13:00〜16:30


場所:

徳正寺(とくしょうじ)

〒600-8051

京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角にジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。


参加費:

300円


私の人生を狂わせた一冊

 昨年の終わり、『アックス』Vol.132の、特集「私の人生を狂わせた一冊」に寄稿した文を再掲します。

 

私の人生を狂わせた一冊

 

扉野良人

 

 それは、『月の輪書林古書目録9 特集古河三樹松散歩』(一九九六年二月発行)。この目録が届いた時の衝撃はわたしの人生の地軸をズラした。その前年の夏、私は月の輪書林店主高橋徹さんと浅草の牛鍋屋で向かいあわせに座った。その日、浪曲などの演芸場で知られる木馬館で、『思想の科学』主催のイベントがあり、そのため京都から青春18きっぷを使って上京したのだった。その年の春(同年一月に阪神大震災、三月に地下鉄サリン事件があった)に東京の美術大学を卒業し、生家の寺で父住職のもと、私は跡目を嗣ぐべく檀家参りを手伝わされていた。上京の車中では、講談社文芸文庫木山捷平『大陸の細道』を読んで感動、その足で浅草へ向かった。その木山の本で覚えた岩野泡鳴の、「何の 為めに 僕、/樺太へ 来たのか 分からない/蟹の 缶詰、何だ それが?」と始まる詩は、今でもデタラメにつぶやく時がある。出来ることならこのまま東京に舞い戻りたいと考えていた。木馬館で客席に古本屋のいることを知った。古本屋の店主から目を離さず、私は打ち上げの席で店主の前に座ったのだった。何を話したのか覚えていない。「君は古本屋になりなさい」と月の輪さんに言われたのをハッキリ覚えている。月の輪さんの隣には坪内祐三さんが座っていて、月の輪さんの意見に同意していた。それから数ヶ月後、『月の輪書林古書目録9』が届いた。目録を閉じ、わたしは月の輪書林に弟子入りを決意し、「父母を怒りをどらし我もいかり/或夜飄然と家出【ルビ・いで】んと思ふ」と木山の歌を添えて月の輪さんに便りを出した。

ブッダ・カフェ 第106回

毎月25日はブッダ・カフェの日です。


ブッダ・カフェ 第106回


 明日2月25日(火)、ブッダ・カフェを開催します。

 
 ブッダカフェはいつもどおりです。今年もどうぞよろしくお願いします。


2月25日(火)
13:00〜16:30


場所:

徳正寺(とくしょうじ)

〒600-8051

京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

地下鉄烏丸線四条駅から徒歩7分。京阪祇園四条から徒歩9分。四条富小路交差点(西南角に福寿園が目印。北西角にジュンク堂書店)を南へ50m、西側(右手)に寺の本門があります。


参加費:

300円