ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

こんなとき - どう思う

 熊本で、日本列島では3.11以来となる大きな地震がありました。
 最初の地震(4/14)の翌日の夕刊記事に「こんなときに - 被災者どう思う」(毎日4/15夕)という見出しで、地震と直接関係はない自衛官の横領事件が報じられていました。




 見出しの文言は、もし被災者の目に触れたとき、この事件がどう思われるかを新聞記者が先回りして記しているように思えました。横流しした保存食が被災地に届くものだったかもしれませんから、被災者が怒りをもって自衛官を難じても、それは当然だと思います。でも、どう思うかは一人一人違う。どう思おうと読者の勝手だ、ということを見出しの文句をかかげた記者、またはデスクは理解していない。新聞記者、いやメディアのおごりがかいま見える。


 あれだけ大きな地震が起きたにもかかわらず、川内原発地震による被害、影響はなかったと原子炉を停止せず稼働中だといいます。
 仮に、この事実を「こんなときに - 被災者どう思う」との見出しで報じたとすればどうでしょう。熊本の地震があって、真っ先に原発は大丈夫なのかと心配した人は、原発稼働に否定的な人も肯定的な人も同じだったのではないでしょうか。
 そして、川内、玄界灘伊方原発に異常はなかったという報告にいちおう胸をなでおろしたことでしょう。原発の将来を考える国民なら、誰だって心配しますよ。この憂慮から、原発の将来についての真の議論が深まっていくのではないでしょうか。
 こと原発に関わるのであれば、「被災者」というレッテルは、福島第一原発事故による被災者も含まれるし、福一の事故によって、かけがえのない自然を喪い、国益を損じた日本国民であるわれわれも、「こんなときに - 被災者どう思う」の列に加わっていることに気がつきます。


 川内原発の稼働を、政府と鹿児島県、九州電力の一存によって認可して良いのか。「こんなときに - どう思う」という問いかけに、想像力をもって答えなければならないと思うのです。