ぶろぐ・とふん

扉野良人(とびらのらびと)のブログ

ジョヴァンニ・ボッカッチョとベテルギウス

 きのうは『デカメロン』の作者ボッカッチョが瞑して642年目にあたる。
 それが600年とか650年だという区切りのいい数字ならともかく、642年という半端な数字をあげるのには理由がある。
 昨晩、天空にオリオン座を眺めた人もおられよう。わたしも仕事帰りのバスの窓から、鼓の形に星を結んだオリオンの姿を見つけることが出来た。
 ベテルギウスはオリオンの左肩に輝く一等星である。ベテルギウスは巨星として知られる。直径は太陽系の木星軌道を飲み込むほどあり、太陽の九百倍の大きさという。そして近年の観測から、加速的な天体の収縮が報告されている。それは、超新星爆発の兆候とされ、それが明日起こってもおかしくない状態にあるそうだ。だがしかし、それはすでに爆発していて、ただその光が未だ地球に達してないだけとも考えられるし、或はまた何万年後先のことかもしれない。もしベテルギウスがバーストすれば、その光は日中でも観測できるほどの輝きを見せると言われる。
 わたしは新聞記事でその事実を知ったとき、冬の空にベテルギウスを眺めると、いまこの瞬間超新星爆発が起こるのではないかという微かな期待と不安を覚えるようになった。


 ではなぜ、ボッカッチョとベテルギウスが関係あるのだろうと訝しがる方もおられるだろう。それは、こういうことである。昨年の今時分に書いた詩のなかに、「ベテルギウスはオリオン座の恒星で、全天に二十一ある一等星の一つ。約六四二光年の彼方にある」と脚注を入れた。さて、そうと判ればハハンと頷いていただけただろうか。
 きのうのベテルギウスの輝きは、じつは642年前の輝きであり、ボッカッチョの臨終に際したときに発した星の光だったことになる。もちろんベテルギウスがきっかり642光年の彼方にあるとは限らないので誤差はあるだろうが、この地球で眺める限り、昨日の夜天に輝いたベテルギウスはボッカッチョの死を照らそうとようやく地球に届いたのだと思いたいのである。


 ボッカッチョの642年目の命日と、ベテルギウスの642年前の光源について書いた詩、「ノヴェッラや、昔話 或はまた火の用心」(『未明 01』所収)の一部を以下に引く。



 わたしは今日の夜、瀬戸内海をフェリーに乗って周防大島へ向かうが、甲板に出て今夜もベテルギウスとボッカッチョに想いを馳せたいと考えている。








ノヴェッラや、昔話 或はまた火の用心


 二〇一一年夏。わたしは、ジョヴァンニ・ボッカッチョの生地(諸説あるが)であり、四十八歳から、その死(一三七五年、六十二歳)までを過ごした、トスカーナ州、チェルタルドの町を再訪しようと、フィレンツェ、SMN駅を出た。デカメロン、十日物語の出発地となり、なおかつ終着地は、このフィレンツェの中央駅前方に、広場を挟んで古びた煉瓦仕上げの後壁を見せているサンタ・マリア・ノヴェッラの教会堂であった。駅の略称SMNは、その教会を指している。



  一



格子戸を引き
星の夜
銭湯へ行こうと
六波羅蜜寺の門前を
火の用心の二人組と
すれ違いざま
その影のひとりが
「あれは オリオン座か?」
ひとりにたずねる声を聞いた


風吹く方より
ふたりの夜盗が
「鼓星、何処や」
と囁く

踊躍念仏
桁行七間
梁間六間
寄棟の
瓦の流れ


ペダルを漕ぐ
二歳と五歳の子を乗せて
声のない音に呼ばれて
舌が動いた


目指す
銭湯の煙突から
一条の星屑が
南天へと靡散く


すべてのものは動いている
蒼穹の最中を
一列の神像が歩いた
あゝ 空也




  二





火の用心
六百四十二年後の
ベテルギウス
六百四十二年前の
平家星


ジョヴァンニ・ボッカッチョ
一三七五年十二月二十一日
トスカーナ、チェルタルドに没した
行年六十二歳


オリオン座α星
ベテルギウス
六百四十二年の
揺らぐ空虚の果
光の旅を終える


数字の事実が正しければ
二〇一七年の
ベテルギウスの光源は
六百四十二年前
一三七五年の
ボッカッチョの冥した時日を選んで
舞いあがろうととしている




  三



兵火
 怪火
  失火
   劫火

火の用心


補陀洛山
六波羅蜜寺
幾度となく火難に遭い
現在の本堂は
北朝貞治二年
西暦一三六三 年
再建された


一三六三 年(南朝正平十八年)
ヴェネツィアにペトラルカを訪ね、約三カ月滞在。
夏にはチェルタルドへ戻る。


一三四八年
黒い死神
ペストが
フィレンツェを襲う
ボッカッチョは
その惨状を目のあたりに
デカメロンの種子を胚胎した


ノヴェッラや
昔話
親愛なる淑女様
十日間の
百の話を
ボ翁よ
始めたまえ